対する批評は賀川[#「賀川」に丸傍点]氏ものゝみが只一つ公にされたつきりであつたさうな。自分は武郎[#「武郎」に丸傍点]君の門下でもなければ、乾分《こぶん》でもないのだから、敢《あへ》て阿諛《おべつか》をつかつて彼是言はねばならぬ義務は持たぬが、当然問題となるべき「三部曲」の批評が一つも文学雑誌――少なくとも文芸をその要素の一つとする雑誌や新聞に、殆ど一言半句ものせられなかつた不公正に対して、自分は親友としては勿論、仮りに無関係な立場にある人としても非常に遺憾とするものである。従つて今度出た「惜みなく愛は奪ふ」は武郎[#「武郎」に丸傍点]君が五ヶ年の心血を注いで、その思想上の頂点を為すものと言はれてゐるだけに、決して同一の不公正が行はれはすまいと思ひながらも、又一方にはなほその懸念がないでもない。願はくは之は自分の杞憂であつて呉れゝばいゝが。
自分が彼の書を読んだところでは、武郎君はその思想を自我の肯定にまで溯りデカルトの Cognito ergo sum の代りに、Cognosco ergo sum だといつてゐる。併し表現の方法は哲学的の論文ではなく論文の形を借りた詩である。組織
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