やうに、きつと甘いところを添ふべきことになつてゐるのだ。自分もクロポトキンだつたか誰かゞいつたやうに、ロムブロオゾオの所謂る罪人型の人間は先天的にはゐないものと信じてゐる。けれども悪いものを悪いまゝに描き、又悪いことを悪いと痛撃するに何の容赦も要らないものと思つてゐる。或は言ふ人があるかも知れない。お前は同じ人間に善と悪とが対立してゐることを忘れて、只その悪ばかりを見るからいけないのだ。そんな見方は人間を汚涜《をとく》し、生命を殺すものだと。自分もそれを思はぬではない、いやそれを思へばこそ恥しくも、恐しくもなるのだ。然しそれでも自分は今日の正義の声は余りに、かしましい拙悪な吹奏者の喇叭のやうに、その底に或る不協和な、擽《くすぐ》つたい何ものかゞ聞きとれると白状しないではをられない。自分は人性を善なりと大掴みにきめてかゝれないと同時に、その反対に悪なりとも断言することを躊躇するものだが、誰も彼も皆正義人道の擁護者らしく見えるときに、自分の汚ない心は皮肉な嘲笑を催して、それぢや是を見ろと現実暴露といふ昔|流行《はや》つたアナクロニズムをやつてみ度くなる。そしてあらゆるものがカリカチユア化してみえる。自分も恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》心理は一種病的で、医学上の露出狂 Expositionmania のやうなもので、何れも立派に着かざり、万物の霊長とは之だぞと取繕つて坐つてゐる真中に、容赦なく、赤裸々の醜をさらけ出して、皆を座に堪へぬまで赤面させ自分は後《あと》で指弾と、冷罵と、憫笑とを、播いた収穫として投げ返されると知つて、自分が恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]病に罹つてゐるのではないかと思ふと堪らなく恥しくもなる、がそれはまだ治癒の望みもある、絶望ではない、併し本当の厭人厭世となつたら、なかなかそのやうな生優しいものではない。「惜みなく愛は奪ふ」を読んだとき、自分はその行先にある此暗い深淵が大きな咽喉を開いて自分を一歩々々その方へ吸ひ寄せてゐることを、愕然として悟つた。語彙の概念に捕はれ易い自分は虚無といふ幻想的な非実在の名を以て此深淵を称ふことは出来ないが、其処には総てが否定で、絶望であるといふ、自分の此観照に目醒めて、驚きかつ顫ひをのゝいたとき、更に自分はそ
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