の死の谷への道を安んじて、恰も生命の門に進むが如く、平然と寧ろあらゆる空しき影に無限の希望を置き、喜びをさへ感じて生きてゐる矛盾を、無頓着を、冷淡を、倦怠を痛感して、此処に改めて自分に対する反抗と、嫌悪の念がむづ[#「むづ」に傍点]の走るが如く、心に湧き起つた。そして自分は此急激な霊の嘔吐を押へる対症療法として、短時間のうちに、今まで漠然として感じてゐたことを、どうか纏まりをつけねばならなくなつた。どんなふうに解決をつけたか、それを詳しくいふことになれば、如何に一夜づけでも十枚や二十枚では書き足りないから、只一言にして尽くすことにすれば、それは至極平凡なもので、武郎[#「武郎」に丸傍点]君の「我は知る、故に我は在る」よりも、もうちつと前なる意識に溯つて「我は感ず、故に我はある」sencio, ergo sum といふ生存の根帯を肯定して次には「在る」という事実はその終りが死であらうと、滅亡であらうと、又その「在る」道程が美であらうと、醜であらうと、善であらうと、悪であらうとに論なく、あらんとするその慾望であつて、我を中心に見た、一切のものは之に根ざしてゐる。此慾望を指して人は愛とよぶもまた憎みといふもそは関するところでない。そは一本質の只形を異にした現はれに過ぎないのだから。ツウルゲーニエフが「煙」の中で、誰だつたかに「私は限りなく露国を愛するが故に、限りなく露国を憎む」と言はしたやうに、生きんとする生命の促進から起つた執着があればこそ、厭人も厭世も、憤りも憎みもあるのだ。若しその慾がなくなつたら、そのときこそは生きてはゐられないときである。
 恁《こ》う考へたとき自分が生きてゐること、憎みながら、厭ひながらも生きてゐる理由が分つたやうな気がした。恥づることも、恐るゝこともいらないやうに思つた。自分が世を厭ひ、憎むといふことはその実、生に対する執着が深いからである。憎むことが深ければ深い程、生命の力は強いのである。それは矢張り愛ではないかと或は人はいふかも知れない。
 或はさうであらう。それは視点の相違である、愛を力説する人は、金を砂中に拾ひ上げる人だ。憎みを主張する人は鉱石を熔炉に投じて、金塊から不純の分子を潔める人だ。何れにしても同じことだ。只何れにするも不徹底が一番にいけない。その時愛は偽善となり、憎みはカリカチユアとなる。自分は信ず何時何処でも偉大な人の多く
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