されたる思想といふよりも寧ろ生み出された思想といふが適当だ。然らばその生み出された思想とは何かと云へば、それは愛だ。啻《ただ》に最近五年間といはず、有島君が最初から目指してきた、又総て武郎[#「武郎」に丸傍点]君の生命活動の主動《ライトモチフ》を為した愛が、此処にその全我の大肯定の下《もと》に、自らを確立したのである。武郎[#「武郎」に丸傍点]君の愛なるものゝ本質が何であるか、惜みなく奪ふ愛そのものである主我は他の多くの同様な主我と如何に対立共存し得られるか、武郎[#「武郎」に丸傍点]君の見るところ、説くところ、信ずるところに対してきつといろ/\な意見が発表せられるであらうし、又さういふことを論じ合ふのは、下らぬ揚足とりや、与太話よりも、ズツトましであるから、大なる期待を以て自分は観てゐるのである。
 然し自分は此処に「惜みなく愛は奪ふ」の批評をする積りでもなければ、武郎[#「武郎」に丸傍点]君の人生観を彼是言ふものでもない。只之を所縁としてつく/″\と感じたことを述べてみたいのである。
 他人のことを言ふ資格のない私は矢張り自分のことを言ふ。私は「惜みなく愛は奪ふ」を読んで、今更に自分の生き永らへてゐることを奇怪に、恥辱に、又恐ろしくさへ思つた。一体自分は考へてみると善にしろ、悪にしろさう大した桁外《けたは》づれではない。平たく言へば凡骨だ。君は立派な人格の所有者だなんかと、過つて言はれでもすると、内心頗る忸怩《ぢくぢ》たるものがあるが、さりとて偽善者だと名乗つてそれを打消すにも価ひしないと自分を侮つてゐる。然し悪に対する自分の態度は寸毫も仮借しない激烈を極めてゐる。邪悪といふものは真黒々で、そこには一点の光明を認めることが出来ない、そして此暗黒は光りのあるところに陰の必ず伴ふ如く、善に伴つてゐる。否寧ろ暗い夜に灯火をつけるやうに、大きな暗は小さな光りを隠くさんとする。是は今日の文壇に主潮を為してはゐないかと思はれる人道主義的傾向とも、又有りふれた道徳観念とも正反対である。自分には今、どんな堕落した人間の裡にも神の光りを認める偉大なドストイエヴスキイの亜流で世の中が満ちてゐるやうに見える。その証拠は此観念を裏切る典型の一人を描かうものなら、批評家は直ぐに、うまくは描けたが、もつと人間らしいところを見てやるべきと言ふ。即ち文学者たる者は、その作に、お菓子に砂糖のいる
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮原 晃一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング