話の一
『エッダ』は廣い意味に於ける北歐の傳説を比較的、原形を保つて殘してゐる點で貴重な文學であります。歐洲の二大神話のその一つである北歐神話は、可なり立派にその中に殘されてゐます。ひとりスカンヂナヴィアの文學者のみでなく、この寶典から、詩想を得た者は他の國でも澤山あります。例へば、リヒアルト・ワーグネルの歌劇は『エッダ』を元にして造つたといふが如き一例であります。
七、特異の形式
『エッダ』の形式は獨特なもので、ごく短かい句毎の頭に重ねて行く、所謂頭韻をもつてゐます。たとへば、先程申しましたヴェルウスパーの初めの句は、
Hliodhs, bidh ek allar, helgar kindir,
meiri ok mini, 〔mo:gu〕 Heimdallar
となつてHの音や、Rの音、アラル、ヘルガール、ヘイムダラールと似た音がいくつも重なつてゐます。五、七、五七と幾つも句を重ね同じやうな言葉をくりかへして行くところは、萬葉の長歌と似たところがありませんか。
次に新らしい『エッダ』即ちスノルイの『エッダ』はさきに申しましたやうに、スカルド歌謠の作例といつたやうなもので、舊い『エッダ』とは別な意味で面白いものでありますが、文學的にはそれほどのものとは思はれませんから、此處では略することに致します。『エッダ』はこれだけにして、次にはスカルドのことに移ります。
八、スカルド歌謠
スカルドとは元來詩人の意味でありますが、此處ではスカルドによつて作られた歌であります。この歌は只文字に書いて、默讀したのではなく、日本の平家物語のやうに節を附けて、歌はれたものであります。
スカルドはその祖先をオージンの大神にもつてゐると申しますが、その守護神はブラギ Bragi であります。つまりブラギはギリシヤ、ローマのミューズの神、日本で言へば和歌三神に當るわけであります。スカルド詩人は大部分は朝廷に仕へたもので、常に君側にあつてその武徳をうたひ、或は戰場の有樣を描き、自らも軍に從つて、辛苦をなめたものであります。スカルドは斯うしていつも作者の主人の賞讃をうたつてばかりゐるところに、エッダとの相違があります。スカルドの形式はエッダと同樣でありますが、只エッダよりもずつと嚴密で、更にいろいろの法則が附加されてゐるだけであります。のみならず用語は同じ古代北歐語でも表現の仕方がエッダとちがひ、廻りつくどいので、不馴れの者にはよみづらいのです。たとへば舟のことを舟といはずに、波の馬といひ、白い浪頭を「波の牡山羊」といふたぐひです。これはケニンガアル kenningar といふ一種の隱喩でありますが、別にヘィティ Heiti といふのは全く違つた名をいふので、言はば符牒であります。たとへば、女といふ言葉を普通にコーネと言はないで、フリョード Flyod、またはスプルンド Sprund といふやうな類であります。これが解釋は後世の人に不可能でありますが、幸にも新らしい『エッダ』のスカルドスカパルマール Skaldskaparmal 即ち、スカルド作詩法にのつてゐるので分るのであります。
スカルド詩人のうち、最も古いとせられてゐるのはウルフ Ulf でありますが、頗る達者な作家で一夜に一長篇をこしらへたといひます。そのほかスカルド詩人の中では、聖地で人殺しをしながら、詩の功徳で危い生命を取り止めたエルプル Erpr や、非常に數奇な生活を送つたエギル・スカラグリムソン Eegil Skallagrimsson などといふ人達もあり、エピソードにとんでゐますが、只今は省いて他の機會にゆづることに致します。スカルドの盛時は、ハラルド美髮王の時代で、王自らも優秀なスカルド Harald Harfagr でありました。
九、散文時代
スカルドに次いだサァガ Saga は散文の物語で、これはイスランドの美しい産物であります。軍談、講談のやうに歴史の事實を巧みな話術で話したのが今日に殘つてゐるわけであります。
イスランドでは今日でも、宴會や、集會の席で、この講釋を餘興として聞く風習が昔のまゝに殘つてをります。
十、傳統の精神
これで甚だ概略ながら、古代のイスランド、ノルウェイ文學のお話を終りました。で、この古代文學が現代のスカンヂナヴィア文學とは如何なる關係をもつてゐるかと云へば、勿論、形式の上からは何んにもありません。けれどもその剛健不屈の古い傳統の精神、ローマンスの夢にあこがれる傳統の精神は、ちやんと殘つてゐます。イプセンの如き、ストリンドベーリの如き、いづれも自國の古い傳統に深い愛着をもち、その精華を發揮しましたし、ビョルンソンの如きは、スカルド蒐集の功によつてノーベル賞を貰つたほどであり
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮原 晃一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング