所謂スウェデンボルグもこの時代の人であります。
 千七百年代から、ローマン主義時代までのスウェデンでは、フランスのクラッシク文學をまねた典雅な擬古典主義文學が隆盛で、スチェルンエルム以後の詩人は言葉の清醇と作詩の自由とを妨げられました。
 この時代を代表するものはオローフ・ダーリン Olof Dalin で、そのすぐれた形式と、機智とで名があります。この時代にスウェデン語は文學、科學の用語として、動かし難い位置を占めました。
 一七八〇年から一八〇九年までが、有名なグスターヴ三世 Gustaf III. の治下で、スウェデンのアウグスツス時代といはれるほど文化の隆盛を見ました。今日ノーベル賞を銓衡するスウェデン學士院 Svenska Akademien の建つたのもこの時です。この時代にも詩人は二派に分かれ、一方はフランス文學の華麗を慕ひ、他は國民文學の權威を主張しました。フランス派の驍將はヘンリク・チェルグレン Henrik Kelgren で、形式の整つた詩を書いて、美學に精通してゐました。これに對して、國民派の大詩人はミカエル・ベルマン Michael Bellman でありました。初めダーリンの弟子で『月』Maanen といふフランス式の詩を處女作として書きましたが、後ち、國民の日常生活をうたふ詩人として不朽の名を殘し、今日でもベルマン祭が行はれてゐるほど一般に愛好せられてをります。
       十六、ロマン主義運動
 ドイツに始まつたローマン主義運動は十九世紀の始まると共にスカンヂナヴィアにもはいつて來ました。中にもデンマルクでは最も美しい實を結びました。このローマン主義の輸入者はドイツ生れのスタッフェルト A. W. Staffeldt で、一時はエー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ル以來の大抒情詩人と言はれましたが、間もなく、その感化を受けたエーレンシュレーゲル 〔Oehlenschla:ger〕 にすつかり壓倒されて了ひました。エーレンシュレーゲルはドイツ人を父にもち、母もドイツで教育を受けたデンマルク婦人で、自分でもよくドイツ語で著作したといひます。彼の作でよく引き合ひに出されるのは『アラディン、或は不思議なランプ』であります。ゲーテの知己であり、ヘッベル Hebbel とも交はりがあつて、半分はドイツ人で、全然ドイツ・ローマン派の影響の下
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