ラマ塔の秘密
宮原晃一郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)白馬《はくば》
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(例)又|誰《だれ》か
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(例)ひやり[#「ひやり」に傍点]
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(例)なか/\大きく
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一 白馬《はくば》の姫君
「ニナール、ちよつとお待ち」と、お父様のキャラ侯がよびとめました。ニナール姫は金銀の糸で、ぬひとりした、まつ赤な支那服《しなふく》をきて、ブレツといふ名のついたまつ白な馬にのつて、今出かけようとするところでした。
「なんですの、お父様」と、ニナール姫はふりかへりました。
まだ十五になつたばかりですから、顔はほんの子供ですけれど、身体《からだ》はなか/\大きくて、まるで大人のやうでした。
「今日は、お前、ジウラをつれて、山へあそびに出かけるはずだつたぢやないか。それだのにどうして、ひとりで、馬にのつて出かけるの」
ニナール姫は、赤い花が咲いたやうにパツと朗らかに笑つて、金の拍車をチャラ/\と鳴らしました。
「だつてお父様、ジウラさんは男のくせに、お馬にのることが下手で、落ちるのが恐《こは》いからいやですつて行かうといひませんもの」
キャラ侯は八の字を額によせました。
「フム、蒙古《もうこ》の王子が馬にのることが下手では困つたものだね。よし/\、わしに考へがあるから、ぢや、今日はお前ひとりで行つてもよろしい。だが近頃《ちかごろ》、馬賊がこのへんの山にはいつて来たといふことだから、よく気をつけなさいよ」
「大丈夫よ。ブレツに一むちあてれば、馬賊なんか追ひ付きつこありやしませんわ」
ニナール姫は、さういふが早いか、足で一つ、ブレツのお腹《なか》をポンとけると、矢のやうに、向ふに高くそびえるギンガン嶺《れい》の方をさして、走《は》せ去りました。
ニナール姫はこのギンガン嶺の麓《ふもと》に、お城をかまへてゐる、満洲《まんしう》貴族の一人子でした。お母様は蒙古の王様からお嫁に来てゐらつしたのですが、さき程、病気でお亡くなりになりました。お父様《とうさん》のアイチャンキャラ侯は、たつたひとりぽつちのニナール姫が、淋《さび》しいだらうと、従兄《いとこ》に当るジウラ王子を蒙古から呼びよせ、そのお相手になさつたのです。ジウラ王子は蒙古の王様のうちでも、成吉斯汗《ジンギスカン》のすゑだとよばれる名家の子でした。が、不幸にして早く、お父様になくなられ、それから又、近頃、お母様も死んで、孤児《みなしご》になつてゐました。だから、キャラ侯は王子の為《ため》にもよからうと思つたのです。
ところが、ジウラ王子は年こそニナール姫よりも一つ上でしたけれど、身体《からだ》もやせて、小さく、青い顔をして、いつも隅《すみ》の方へ引つ込み、だまつてばかりゐるのでした。しかも、そのくせ、ゐばりやさんで、どうかすると「おれは蒙古の王子だぞ」といふやうに、高慢な顔をしますから、大勢の召使ひたちから、軽蔑《けいべつ》されたり、いやがられたりするだけで、一向、ニナール姫のさびしさを慰める役にはたちません。
尤《もつと》も、ニナール姫の方だけでは、ジウラ王子がゐやうがゐまいが、そんなことはどうでもいゝので、以前とかはりなく、朗らかで、活溌《くわつぱつ》で、勇ましい男もかなはないほど大胆で、馬に乗り、鉄砲をうち、せい一ぱいにあばれてをりました。
然《しか》し、うはべはさうでも、やはり女のことですから、心の底では、亡くなつたお母様のやさしい言葉や、美しかつた姿を、始終思ひ出して、人知れず涙をながすことがありました。つまり、烈《はげ》しい運動や、勇ましい武術をするのも、それに心をまぎらして、こんな悲しい思ひを、なるべく、少なくしようといふのでした。
二 ラマ塔の燈火
それから一週間ほど経《た》つた、美しい、晴れた夜でした。ニナール姫と、ジウラ王子とは、お城の庭に出て、新鮮な空気を吸つてゐました。このあたりは、満洲《まんしう》でも、ずつと北によつてゐるので、夏は日のくれるのが、大へんおそいので、人はよく夜ふかしをするのでした。
バラに似た花の香りがして、時鳥《ほととぎす》のやうな鳥の声が聞えました。と、お城の広間の時計が、地の底まで沈むやうな深い音をたゝて、ヂーン/\と十一時を打ちました。この時計はずつと昔、支那《しな》がまだ清国《しんこく》といつた頃《ころ》、北京《ペキン》の宮城の万寿山《まんじゆさん》の御殿にかけてあつたもので、その頃、皇帝よりも勢ひをもつた西太后《せいたいごう》(皇太后)の御機嫌《ごきげん》とりに、外国から贈つたものを、ニナール姫のお祖父様《ぢいさま》がいたゞいたものでした。
時計が、十一時を打ちきつたとき、ジウラ王子はどうしたのか、俄《にはか》にニナール姫の腕にすがりつくやうにして、恐ろしさうに、さゝやきました。
「ニナール、あれ何、何《な》んの光?」
ジウラ王子の指は、向ふに、怪物のやうに、黒々と聳《そび》えてゐる、ラマ塔をさしてゐました。
まつたく、平生、人のゐないラマ塔の下の階《きざはし》から、小さな火の光りがちらちらと見えました。ふつと消えたかと思へば、また黄色く光り出して、丁度草の中の螢《ほたる》かなぞのやうでした。
それを見ると、ニナール姫も、胸がドキ/\しました。
ラマ塔は昔、このお城がラマ仏教のお寺であつたとき、建つた、ずゐぶん古《ふ》るいものですが、アイチャンキャラ侯の先祖が、これを取つてからのち、或時《あるとき》、外敵にせめられて、一時これを占領されたことがありました。そのとき、タクマールといふ勇敢な娘が、僅《わづ》か十八歳の身で、その年下の弟や妹たちを助けて、この塔に立てこもり、最後まで敵と戦つて、とう/\切り死にしました。それでラマ塔には、タクマールの幽霊が出るといふ噂《うはさ》があつて誰《だれ》もそばへは寄らないのでした。
「さうね。タクマールの幽霊がでるといふから、さうかも知れないわ。ジウラさん、ひとつ、行つて、正体を見届けちやどう」と、ニナール姫は笑ひながら言ひました。
「いやだ! 僕《ぼく》、こわい。もう内へ帰つて、ねませう。おそいぢやないの、今夜は!」
ジウラ王子はさういふと、もう立ち上がつて、家《うち》へ帰りかけました。すると、ニナール姫は、からかつてやりたい気持が一そう加はつて、ジウラ王子を捕へて放しません。
「何んですね、将来、蒙古《もうこ》の王様になる人が、そんないくぢなしで、どうしますか。さあ、私《わたし》が、あの入口まで送つてあげますから、一つ探見していらつしやい」
「いやだ/\、僕、こわい。」
ジウラ王子はなか/\行かうとはしません。けれども、ニナール姫は、お父様が、さきに言つたことを想出《おもひだ》してゐたので、むりにジウラ王子をひきずるやうにして、黒いラマ塔のところへつれて行つたのでした。ニナール姫がさうしたのは、丁度、その日、お父様が、ジウラ王子の胆《きも》をねるために、ひとりで、あの幽霊塔に行かしてみようと言はれたのを、おぼえてゐたからでした。だから、そのあかりも、或《あるひ》はお父様のいひつけで、誰《だれ》かゞとぼしてゐるかも知れないと、そんなふうにも思つたのです。
ラマ塔はぢきそこにあるやうでしたが、実は雑木の小さな森を通つて、谷のふちへ出て、それからそこにある橋をわたつて、小さな山のふもとまで、三百メートルも行かなければならないのでした。塔の上には、青黒い空に、星がきら/\と光つてゐました。
「さあ、これから先きはジウラさんひとりで行くのよ」と、ニナール姫は言ひました。「あの塔の光りが何んだか、見届けていらつしやい。もし悪《わ》る者でもゐたら、これで打つておしまひなさい」
ニナール姫は闇《やみ》にも光るピストルを、ふるへてゐるジウラ王子の手に渡しました。
「私、こゝで待つてゐますからね。勇気をふるつて行くんですよ」
けれどもジウラ王子はまだぐづ/\してゐるので、ニナール姫は、その背をポンと一つつきました。ジウラ王子はフラ/\と仆《たふ》れさうな足取りで、高くしげつた夏草の中を、がさ/\と分けて行きました。そして間もなくすぐ目の前に小山のやうにそびえ立つ、まつ黒なラマ塔は、小さなジウラ王子の姿を呑んでしまひました。
三 悪事の相談
それから十五六分も経《た》ちましたらうか。ニナール姫も、さすがに心配しながら、ジウラ王子が無事で早く帰つてくるやうに祈つてをりましたが、どうしたことか、待てども待てども帰つて来ません。ニナール姫は心配で、もうぢつとしてゐられなくなりました。で、自分も、ラマ塔をめざして行きました。一足々々、ジウラ王子が、そこに仆《たふ》れてはゐないかと、危ぶみながら進みました。
いよ/\ラマ塔の入口に来ると、さすがに勇気のある姫もちよつと躊躇《ちうちよ》しました。といふのは塔の根のところは、なか/\宏大なもので、その入口はお城の門ほど高くて、広くて、しかも、すばらしく大きな、仁王様《にわうさま》のやうな石像が、門の両側の柱や、壁に立つてゐるので、勇気のあるニナール姫でもぞつとするほど恐《こは》いのですから、ジウラ王子のやうな弱い人は、とても、その前を通れやうはずがない。或《あるひ》はこゝらで気絶してゐはしなからうかと、思ひながら、あたりをよく見まはしても、そんなふうもないので、ニナール姫は断然、塔の中へはいりました。ひやり[#「ひやり」に傍点]とした空気が顔をなで、黴《かび》つ臭いにほひが鼻をうちました。然《しか》し、何分、まつくらなので、足元があぶないからちよつと立ちすくんでゐましたが、フト前の方に、かすかに燈《あかり》が見えて来ました。
「あゝ、やつぱりお父様が、誰《だれ》かにいひつけて、燈火《あかり》をおつけさせになつたんだわ。ジウラさんも、きつと、あすこにゐるでせう」
ニナール姫は、足元をさぐり/\、そつと奥へすゝみました。すると、二三人の男の声で、何やら話してゐるのが聞えました。それがこゝらへんの言葉でないらしいので、賢い姫ははて、変だと感づいて、いよ/\そつと進んで行きますと、燈明《あかり》は塔の北側の部屋からもれてくることが分りました。そつと忍寄《しのびよ》つてのぞくと、その中には、三人の、馬賊らしい、鬚《ひげ》モジャの男たちが、あぐらをかいて、坐《すわ》つてゐました。そのうちの二人だけは入口に向かつて坐り、そばに馬の鞍《くら》やら、馬具の類やら、宝石をちりばめた短剣やら、美しい手箱などが置いてありました。
「もう少し負けねえか」
と、そのうちの一人が、こちらへ後ろを向けてゐる男に言ひました。
「一銭も負からねえ」とこつちの男が、答へました。それが土地の言葉である上、何んだか声にも聞き覚えがあるやうでした。
「考えて見ろ。ブレツといや、キャラ侯の厩《うまや》のうちばかりでねえ、北満洲《きたまんしう》、蒙古《もうこ》きつての名馬だぞ」
「さう云《い》や、さうだが――すると、馬を渡すのはいつだい」
「明日、渡してやる」
「間違ひないな。それぢや、手附金《てつけきん》五十両やつて置く」
長い赤鬚の馬賊は、ピカ/\光つた銀貨をかぞへて、そこに出しました。それを、こつちへ後ろを向けてゐる男が、受取る拍子に、ふとその横顔を見せました。
「あツ!」
ニナール姫は思はず、小さな驚きの声をあげました。それはニナール姫の馬の世話をしてゐる馬丁のアルライだつたからです。
アルライはニナール姫の小さな叫びをきゝつけて、すぐに戸を開けて、炬火《あかり》をつけました。けれども、ニナール姫はすばやく、隅《すみ》の方の壁にピタリと身を押し付けましたから、見付かりませんでした。
「何んだい」と、馬賊の一人が声をかけました。
「何んだか声がしたので、又|誰《だれ》か来やがつたと思つたんだが、空耳だつた」
と、アルライが答へました
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