。すると、赤鬚の馬賊が、
「あの餓鬼はどうするんだ」と、訊きました。
「あすこに投《はふ》り込んどきや、鼠《ねずみ》の餌《ゑ》になるか、飢ゑ死にするか、どつちみちおれの秘密がもれることはない。おれも、ブレツをお前たちに渡しや、もう仕事もないから、いゝ加減、見切りをつけて、此《こ》の城を立退《たちの》くんだ」
「だが、只《ただ》、くたばらせるのは惜しいな。どうだ人質にして、五十でも百でも金にするからおれに売らねえか」と、その馬賊が言ひました。
「うん、そいつはいゝ考へだ。ぢや、いくらに買ふ?」
「五両ぢやどうだ」
アルライはせゝら笑つて
「そんな金ぢあ渡せねえよ、あれでも未来は蒙古は伽什爾《カジウル》の王様になるのだぜ、やがては大蒙古の王様だ。それを人質にとるんだ。どんなに安くつもつても、万両の価はあるんだぞ」
「まあ話は半分と聞いて置かう。とにかく、いくらなら手放す」
「千両といひたいが、うんとまけて百両」
「高い/\五十両にしとけ!」
「さうはならねえ。いやなら止《よ》せ」
ニナール姫はこの話を聞いて歯ぎしりしました。悪馬丁のアルライはニナール姫の愛馬ブレツを盗み出して、馬賊に売る約束した上、うつかり塔に入つたジウラ王子をつかまへて人質として売らうとしてゐるのでした。
「あゝ、ジウラさんに、あのピストルを渡してゐなかつたなら、アルライも二人の馬賊も、すぐ射殺して、ジウラさんを助けてあげられるのに」
ニナール姫は、思はず懐をさぐると、短剣の柄《つか》に手がふれました。
「タクマールがしたやうに、入口に待受けて、一人づつ、これで胸を刺してやらうか」と、思ひました。けれども、相手は大の男が三人で、こちらは小さな女の児一人です。やりそこなつたら、それこそ大へんです。勇気ばかりでなく、智恵《ちゑ》もすぐれてゐるニナール姫は、そんな危《あ》ぶないことをする代りに、別に安全な方法を考へ出して、アルライや、馬賊たちのすることをこつそりと見てゐました。
悪者どもはさうとも知らず、ジウラ王子の値段を押問答してゐましたが、とう/\五十両で約束がきまつて、アルライはそのお金を受取り、馬賊の一人はあとに残つて、番をし、他《ほか》の一人は、外の仲間をつれて来て、此処《ここ》で買つた品物やら、ジウラ王子やらを受取つて行くことにきまりました。
四 不敵の馬丁
ニナール姫はアルライと一人の馬賊とが塔から出て行つたあとで、自分もこつそりと、塔を出て、走つてお城へ帰りました。
お城ではニナール姫と、ジウラ王子との姿が見えなくなつたといふので、大騒ぎをしてゐるところだつたので、ニナール姫がひよつこりと帰つてくると、お父様は大悦《おほよろこ》びで
「まあ、ニナール?」と、たしなめるやうに言ひました。「お前はこの夜中、何処《どこ》へ行つたの。心配させるぢやないか。お転婆《てんば》もいゝ加減にするものだよ。そしてジウラは何処に、」
ニナール姫はわざと落着いて、
「お父様、それについて大事なお話がありますの。ちよつと、お広間へ来てちやうだい」お広間へ来ると、ニナール姫は声をひそめて「あのね、とても大へんなことよ」
「何が大へんなのかい。」
「ジウラさんが、馬賊にさらはれるところよ」
「えッ、何をいふ」
「それに私《わたし》のブレツも盗みだして、明日は売られてしまふところよ」
「誰《だれ》が売るのか」
「アルライが」
「お前、どうかしてゐやしないか」
「いゝえ」と、いつて、ニナール姫は今までの話を手短かにしました。するとキャラ侯はかん/\に怒つて、すぐアルライをよばうとしましたが、ニナール姫はとめました。
「まづ塔に兵隊をやつて、内からも外からも、馬賊が出入りのならぬやうにして下さい。それも中の馬賊に知られると、ジウラさんを殺すやうなことになるといけませんから、ジウラさんは、あとで、私《わたし》たちがいつて、うまく、けいりやくで、内の馬賊を押へて置いて、それから助け出しませう。それよりもさきに、此処《ここ》へ、守備隊長をよんで、このことを話して兵隊を二三人つれて来させ、それから厩頭《うまやがしら》のウラップに、アルライを此処へつれて来るやうに言付けて下さい」
ニナール姫の手配はまるで、りつぱな警察署長のやうに、よく行きとゞいたものでした。で、お父様もすつかり感心して、そのいふとほりにしました。
アルライは、まさか自分の悪事がつゝぬけに御主人の耳にはいつてゐるとは知りませんが、たつた今、悪《わ》るいことをして、帰つて来たばかりのところへ、こんな夜更けによび出されるのを不審に思つた、不安心な様子でした。
アイチャンキャラ侯はアルライが広間へはいつてくると、眉《まゆ》をつり上げて雷のやうな声で叱《しか》りつけました。
「貴様はふらちな奴だ。主人の馬を馬賊に売る約束をしたり、ジウラをかどわかして、人質にやらうとしたり、悪いことばかりをしてゐるな、こちらには一々分つとるぞ!」
アルライはさすがに驚いて顔の色を変へました。でも飽《あ》くまでづう/\しく、にや/\笑ひながら
「何をおつしやるんです。そんな馬鹿《ばか》げたことを! 誰《だれ》か私《わたし》をねたむものが言つたことでせう」
「馬鹿およし」と、わきから、ニナール姫が言ひました。「わたし、お前たちが塔のなかでしてゐたことや、言つてたことを見たり、聞いたりしてゐたんですよ」
「へへへ、お姫様は夢を見ていらつしやるんでせう」
アルライはさう言ひながら、戸口の方へそろ/\と歩るいて行きました。
「黙れ!」と、どなつたキャラ侯は、いきなり壁から鞭《むち》をとり下ろして、ピシリ/\と、二度、アルライの頭を打ちました。
「畜生!」と、アルライが叫んだかと思ふと、ぴかりと何やらその手に光りました。かくしてゐた短剣をぬいたのでした。そしてキャラ侯にとびかゝりました。
「どつこい、さうは問屋で下ろさない」と、後《うし》ろから、ウラップがその手をしつかりと押へつけました。
「ハハハ、じたばたするない。手前《てまい》は鷲《わし》でもまだ羽の生えそろはない子供だ。そんな大それた真似《まね》をするのは、早いぞ!」
アルライはまつかな顔をして、一生懸命にその手をもぎ放さうとしましたが、なか/\放れません。その額には、今打たれた鞭の痕《あと》が、醜くついてゐました。
その途端、戸が開いて、守備隊長が、二人の兵をつれて、はいつて来ました。それを見ると、アルライはありつたけの力を出してウラップの手をふりきつて、みんながアツといふ間に、窓にとびのり、すぐその張り出しの上に、すつくと立ちました。下は、二十メートルばかりの高い断崖《がけ》で、その下は底知れぬ深い淵《ふち》です。けれども大胆不敵のアルライは、こつちを見返つて、そのきら/\する短剣をふりまはし、
「親も子も、よく覚えてをれ。アルライ様の仕返しが、どんなに恐ろしいかつてことを!」
守備隊長はすぐ腰のサツクから、短銃を取り出しました。が、ドンといふ物凄《ものすご》い音がその手から起つた瞬間には、アルライの姿はもう深い淵へザンブととび込んでゐました。
「ちえツ! 遁《に》がしたか。まさか、あんなところから飛び込みはしないと思つたのは、油断だ。しかし、流れが早いから、助かりやしまい」
守備隊長は自分で自分を慰めて、それからキャラ侯に向つて、
「閣下、鞭など使はずに、あんな悪魔は、すぐ首《くび》を叩《たた》つきつておしまひなされば、ようございましたのに!」
「いや/\、あんな者を切つちや、刀の汚れだ」
と、侯は言ひながら、鞭を二つにへし折つて、別々になげすてました。
五 袋の鼠
塔の中では馬賊が一人、番に残つてゐました。首領が二三人手下をつれて迎へにくるのを待つてゐるのでした。
すると、少時《しばらく》たつて、外で、何やら人のけはひがしたやうで、草やぶの鳴る音も聞えたやうでした。
「ハテな、迎へに来たのにしちや、少し早いぞ」と、馬賊は首を傾《かし》げました。
「ことによつたら、あの子供をお城の者がさがしにでも来たかしら」
馬賊は目じるしにならないやうに、急いであかりを吹き消しました。このときは、実はニナール姫の指図で、武装兵がこつそりと塔を囲んだときでした。
それから、またしばらくして、今度は、はつきり二三人の足音が聞えました。
「来た/\、いよ/\親分が来た」
馬賊は悦《よろこ》んで、また燈火《あかり》をつけました。そして「親分ですか」と低い声で訊《き》いてみました。そのときには、足音はもう、ごく近くに来てゐました。
「うん、待たせたね」と、闇《やみ》の中で、太い声が答へました。それは変でしたけれど、中の馬賊は気がつきませんでした。
「ちよつと、入口まで出てくれ」と、その声は言ひました。
「ヘイ/\。あの人質もつれて行きますか」
「いや、お前だけでいゝ」
賊は火のついた蝋燭《らふそく》を手にもつて、戸口を一歩踏み出すと、忽《たちま》ち、何者にか足をさらはれて、バツタリとそこに仆《たふ》れました。
そのとき、懐中電気の光りが、まばゆく目をいました。そして、しまつたと思つたときには、もうきり/\と、後ろ手にしばり上げられてゐました。
「ハハハ、うまくつり出されたな。斯《か》うして置けば、ジウラ殿下はもう大丈夫です」と、守備隊長が言ひました。「いや、どうもニナール姫さまの、何から何までお気づかれるのには、恐ろしいくらゐでございます。外の方も網が張つてありますから、馬賊がくれば、すぐ捕へます」
その言葉が終るか終らぬうちに、塔の外で、烈しい銃声が起つて、人の叫びのゝしる声や、走り廻《ま》はる足音がしました。それからまた二三発銃声がして、それがやむと、塔をさして、四五人の黒い人影が走つて来ました。
「誰《たれ》か!」
守備隊長は入口に出て、どなりました。
「味方!」と、声がしました。つゞいて「隊長殿。賊は抵抗するので、みんな射殺《いころ》しました」と、言ひました。
「よろしい。此処《ここ》で取押へた奴《やつ》を城《しろ》へ曳《ひ》いて行け。あとでしらべるから」
六 仏像のからくり
ニナール姫は懐中電気をつけ、まつ先きに立つて、先程、アルライや馬賊たちが、悪事の取引きをしてゐた部屋に入りました。けれども、ジウラ王子の姿は見えません。王子どころか、生きたものは、鼠《ねずみ》一|疋《ぴき》もゐません。そして可なり広い室の向ふの壁に、たゞ大きなラマ仏の木像が三つ立つてゐるつきりでした。
「おや、ジウラ殿下はお見えになりませんね」と、守備隊長が、失望したやうに言ひました、
「うん、ゐないね。どうしたのだらう」と、キャラ侯も心配さうに言ひました。「ニナールの見ちがひぢやないかね」
「いゝえ、悪者どもは、たしかに此《こ》の部屋にゐました。見違ひぢやありませんね。もつとも、ジウラさんの姿は見やしないんですが、どこかにかくしてあるやうに、アルライが言つてゐましたから、さがしてみませう」
「でも、隠すところがないぢやないか。別な部屋に押しこめてあるんだらう」
「いや、一時押へて置くのにまつ暗な別な部屋へ、わざ/\面倒な思ひをして、入れに行く筈《はず》がありませんわ。きつと、この部屋に、何か秘密の戸口があるのよ。あたし呼んでみませう――ジウラさん、ジウラさん!」
ニナール姫はしきりに呼んでみますけれど、何んの答へもありません。只《ただ》井戸の中で物を言つてゐるやうに、高い天井に反響するつきりでした。
みんなは懐中電気やら、炬火《たいまつ》やら、蝋燭《らふそく》やらを壁だの天井だのにさしつけて、秘密の出入口でもありはしないかと、しきりにさがしましたけれど、一向それらしいものが見当りません。でみんな困つてゐました。
と、そのとき、ニナール姫が、突然叫びました。
「分つたわ。あれよ! あすこよ!」
姫の指は牀《ゆか》をさしてゐました。そこには二三寸も高く積つた埃《ほこり》の上に、大きな支那靴《しなぐつ》の跡がポタリ/\とついて、ラマ
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