が顔をなで、黴《かび》つ臭いにほひが鼻をうちました。然《しか》し、何分、まつくらなので、足元があぶないからちよつと立ちすくんでゐましたが、フト前の方に、かすかに燈《あかり》が見えて来ました。
「あゝ、やつぱりお父様が、誰《だれ》かにいひつけて、燈火《あかり》をおつけさせになつたんだわ。ジウラさんも、きつと、あすこにゐるでせう」
ニナール姫は、足元をさぐり/\、そつと奥へすゝみました。すると、二三人の男の声で、何やら話してゐるのが聞えました。それがこゝらへんの言葉でないらしいので、賢い姫ははて、変だと感づいて、いよ/\そつと進んで行きますと、燈明《あかり》は塔の北側の部屋からもれてくることが分りました。そつと忍寄《しのびよ》つてのぞくと、その中には、三人の、馬賊らしい、鬚《ひげ》モジャの男たちが、あぐらをかいて、坐《すわ》つてゐました。そのうちの二人だけは入口に向かつて坐り、そばに馬の鞍《くら》やら、馬具の類やら、宝石をちりばめた短剣やら、美しい手箱などが置いてありました。
「もう少し負けねえか」
と、そのうちの一人が、こちらへ後ろを向けてゐる男に言ひました。
「一銭も負からねえ」とこつちの男が、答へました。それが土地の言葉である上、何んだか声にも聞き覚えがあるやうでした。
「考えて見ろ。ブレツといや、キャラ侯の厩《うまや》のうちばかりでねえ、北満洲《きたまんしう》、蒙古《もうこ》きつての名馬だぞ」
「さう云《い》や、さうだが――すると、馬を渡すのはいつだい」
「明日、渡してやる」
「間違ひないな。それぢや、手附金《てつけきん》五十両やつて置く」
長い赤鬚の馬賊は、ピカ/\光つた銀貨をかぞへて、そこに出しました。それを、こつちへ後ろを向けてゐる男が、受取る拍子に、ふとその横顔を見せました。
「あツ!」
ニナール姫は思はず、小さな驚きの声をあげました。それはニナール姫の馬の世話をしてゐる馬丁のアルライだつたからです。
アルライはニナール姫の小さな叫びをきゝつけて、すぐに戸を開けて、炬火《あかり》をつけました。けれども、ニナール姫はすばやく、隅《すみ》の方の壁にピタリと身を押し付けましたから、見付かりませんでした。
「何んだい」と、馬賊の一人が声をかけました。
「何んだか声がしたので、又|誰《だれ》か来やがつたと思つたんだが、空耳だつた」
と、アルライが答へました。すると、赤鬚の馬賊が、
「あの餓鬼はどうするんだ」と、訊きました。
「あすこに投《はふ》り込んどきや、鼠《ねずみ》の餌《ゑ》になるか、飢ゑ死にするか、どつちみちおれの秘密がもれることはない。おれも、ブレツをお前たちに渡しや、もう仕事もないから、いゝ加減、見切りをつけて、此《こ》の城を立退《たちの》くんだ」
「だが、只《ただ》、くたばらせるのは惜しいな。どうだ人質にして、五十でも百でも金にするからおれに売らねえか」と、その馬賊が言ひました。
「うん、そいつはいゝ考へだ。ぢや、いくらに買ふ?」
「五両ぢやどうだ」
アルライはせゝら笑つて
「そんな金ぢあ渡せねえよ、あれでも未来は蒙古は伽什爾《カジウル》の王様になるのだぜ、やがては大蒙古の王様だ。それを人質にとるんだ。どんなに安くつもつても、万両の価はあるんだぞ」
「まあ話は半分と聞いて置かう。とにかく、いくらなら手放す」
「千両といひたいが、うんとまけて百両」
「高い/\五十両にしとけ!」
「さうはならねえ。いやなら止《よ》せ」
ニナール姫はこの話を聞いて歯ぎしりしました。悪馬丁のアルライはニナール姫の愛馬ブレツを盗み出して、馬賊に売る約束した上、うつかり塔に入つたジウラ王子をつかまへて人質として売らうとしてゐるのでした。
「あゝ、ジウラさんに、あのピストルを渡してゐなかつたなら、アルライも二人の馬賊も、すぐ射殺して、ジウラさんを助けてあげられるのに」
ニナール姫は、思はず懐をさぐると、短剣の柄《つか》に手がふれました。
「タクマールがしたやうに、入口に待受けて、一人づつ、これで胸を刺してやらうか」と、思ひました。けれども、相手は大の男が三人で、こちらは小さな女の児一人です。やりそこなつたら、それこそ大へんです。勇気ばかりでなく、智恵《ちゑ》もすぐれてゐるニナール姫は、そんな危《あ》ぶないことをする代りに、別に安全な方法を考へ出して、アルライや、馬賊たちのすることをこつそりと見てゐました。
悪者どもはさうとも知らず、ジウラ王子の値段を押問答してゐましたが、とう/\五十両で約束がきまつて、アルライはそのお金を受取り、馬賊の一人はあとに残つて、番をし、他《ほか》の一人は、外の仲間をつれて来て、此処《ここ》で買つた品物やら、ジウラ王子やらを受取つて行くことにきまりました。
四 不敵の馬丁
ニナール姫は
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