、佐太郎は目を覚ませり、彼はただ一個床にありき、首を挙げてソッと呼びたれど答うるものなかりしなり、さてはと身を起して闇を捜りたれど、阿園はいずこにもいず、ただ裏の戸明け放しありて、向いの空ほのぼのと明けゆく模様なりしなり、佐太郎は愕《がく》とせり、彼はそのままソッと戸を締め、夜明けぬ間に己が家に忍び走れり、

     下

 古門村の後には、村と同名の山脈連なり、峰は高きにあらずといえども、満山隠然として喬木《きょうぼく》茂り、麓《ふもと》には清泉|灑《そそ》げる、村の最奥の家一軒その趾《あと》に立ちて流れには唐碓《からうす》かけたる、これぞ佐太郎が住居なりき、彼は今朝未明に帰り来たり、夜明けたれど外にも出でず、残暑|焔《も》ゆるがごとき炉の傍に、終日|屹坐《きつざ》して思いに沈みぬ、その日の夕、にわかに戸を敲《たた》くものありき、彼は愕として飛び立ちしが気を静めておそるおそる戸を明けしに、その友の一人なる壮年なりき、突然とし彼は曰《い》えり、「佐太郎和主も来たり見よげに希代のものを捜し出せり、疾《と》く疾く疾く来よ」
 佐太郎は思い当るところあれば青くなり、心には拝むようにして外に
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