しなり、彼は哀れにも尼の願いを起し、この久しき間忍んでその許可を待ちしなり、そのついに消息なきに及んで、彼は思いよらぬ方向に還俗し初めしなり、悲しいかな彼は今運命の与えぬところを己が手をもて取らんとしつつあるなり、彼はしばしば独語せり、「怨めしきはかの人、これまで一夜宿りもせず、げにただ一夜くらい宿りたればとて」と、
その日の夕佐太郎は再び徳利と菜籃《なかご》を提げて訪えり、待ちわびたる阿園は飛び立ちて迎え入れ、まだ日は暮れねど戸を締めたり、彼らは裏縁の風涼しきところに居並び、一個の膳に差し向い、いよいよ離別の杯を取れり、阿園は長々世話になりしことを謝し、里方の無慈悲を怨み、あかぬ別れを歎《なげ》き、身の薄命を悲しみ、佐太郎が親切を嘆じ、再縁再度の不幸を想いては佐太郎の妻となるべき女を羨《うらや》み、佐太郎の一方ならぬ恩誼《おんぎ》を思いては、この家を出てまた報ゆるの時なきをかこち、わけても佐太郎が妻なるべき女の好運を返す返すも羨みぬ、
杯の廻りに日暮れ、情話のうちに夜も更けゆき、外ゆく人全く絶え、行燈《あんどん》は油尽きて、影くらくなりて、ついに消えたり、
やがて家々鶏なくころ
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