せしぞ」「伯父よ佐太郎主が縊り殺せしとか」ああ怨めしき阿園、情なきことせしものぞ、かくなることとは露知らざりしも、かくなる上はわれが殺せしと言わるるとも言い開くべきようなし、悲しいかなやんぬるかなと、彼は怨めしげに自身の手足を視回《みまわ》しては太息し、愛憎なげに己が影を眺めては太息せり、彼はなお幾たびか阿園の両親に懺悔《ざんげ》せんと思い、また阿園のごとく死なんとまで思うこともしばしばなりき、しかして彼はつらつら思い回《ま》わせり、「もし懺悔せんとせばげに懺悔すべき罪あり、もし死なんとせばげに死すべき罪すらなきにあらず」と、彼はさしあたりなすべきことを考えたれど、ほとんどなすべきことを知らざりき、げに彼はまさに死なんとする蒼顔《そうがん》の勇蔵を呼び起して詫《わ》び、恐るべく変りし阿園に向いて悔い、厳《いか》めしき里方の父にいかに懺悔の端を開くべきか、打ち沈めるその母をいかに慰藉すべきか、彼らは阿園が死を己れに帰せざるがごとしといえども、その実は己れを怨み初めより己れの懺悔慰藉を拒むものにはあらざるか、よし拒まずとするも事すでに後れたるにはあらざるか、よしまたすべてがよろしきにもせよ村人ことに女房、朋友、小供らに対しいかにして再び顔を合わすべきかを思い、ついには裏の戸を抜け、唐碓の小屋の傍に出て、流れに沿いて麓を下り、もってその身の棄てどころを尋ねんと思い、山をたどり峰に登り谷に下り森に入って、いずこにても縊り死すべしと思いたり、彼はかく一様のことを幾たびも繰り返しつ、千緒万端思考したれども、ただ茫然《ぼうぜん》として仆《たお》れたる一事のほか何のなすところもなかりしなり、
 彼はその罪を懐《いだ》きて眠れり、彼は直ちに眠りに就きしもその罪は生きており、種々異様の形を取り夢路を遮《さえぎ》って彼を悩ませり、その最も恐ろしかりしはこれなりき、ある短き日の夕彼はいずこともなく旅立って野路を行き、日没に及んで茫々たる墓場にさしかかれり、彼がまさに行き過ぎんとするや否、路傍に差し出でたる二個の新墓、忽然《こつぜん》として動《ゆる》ぎ出て石の下より一声「待て」と呼ぶや否、両頭の大蛇首を挙げて追い来たれり、彼は飛ぶごとくして遁げ走りたるも、足はただ同じ地のみを踏める間に大蛇はすでに寸後にせまり、電火のごとき二条の舌ズッと彼が頸《くび》を嘗《な》めたり、彼はみずから驚く声に目覚めたるが、峰の嵐《あらし》の戸を敲く声は地獄よりの使者の来たれるかとも思われたり、
 彼はもはや眠るあたわず、起き直りて夜の明くるを待てり、夜はやがて明け初め、怨夢《えんむ》はすでに去ったるも、怨夢の去りし※[#「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1−87−69]《まど》の孔《あな》より世界は白き視線を投げて彼が顔をさし窺《のぞ》けり、力なげに戸をあくれば、天は大いなる空を開きて未明より罪人を捜しおり、秋の日は赫々《かくかく》たる眼光を放ちて不義者の心を射透《いとお》せるなり、彼は今日も鎖《と》じ籠りて炉の傍に坐し、終日飯も食わずただ息つきてのみ生きておれり、命をかけて得たりし五十金、いずこに蔵《おさ》めてあるかその員《かず》に不足を生ぜざるか改めて見んともせず、ひたすらにまた日暮を待ちたり、日はやがて暮れたり、
 彼はあたかも遠征を思い立ちし最初の日の夕のごとく圃《はたけ》の人の帰るを測りて表の戸より立ち出でたり、彼が推測は謬《あやま》らず、圃の人は皆帰り尽し、鳥さえ塒《ねぐら》に還りてありし、彼は前夜の夢路をたどるもののごとく心細く歩きたるが、早や黄昏《たそがれ》すぎて闇《くら》きころ、思いがけなく一群の人の此方に向いて来たるに遇えり、彼は立ち留りて窺いたるに、これは皆村人にてしかも阿園の葬式の帰りなりき、佐太郎は再び愕《がく》としてあたりの櫨《はぜ》の樹蔭に身を隠したり、群は何の気もつかず、サヤサヤと私語《ささや》きあいつ緩々《ゆるゆる》その前を通りすぎたり、彼は耳を澄まして聞きたるに多くの言語相混じてしかと分らざれど、彼はかく聴き取りぬ、「縊れてまで死ぬるとは誰にいかなる遺恨あってぞ」「何ゆえ死にしか和主がほかに知るものなし」「憐れ憐れ誰が殺せしぞ」「伯父よ佐太郎主が縊り殺せしとか」と、彼は再び消え入ったり、
 一群ははるかに去りて暗光はドップリと暮れゆき再び来る人もなかりき、されど彼は阿園が棺とその葬式の道を恐れて出でず、なお樹下に潜みいつ遠近《おちこち》と夜の影を見回せり、彼の心には現世ははるかの山の彼方になりて、ココは早や冥土《めいど》に通ずる路のごとく思われ、ヒヤヒヤと吹き来る風は隠府の羽を延ぶるがごとく、眼前に闇よりもひときわ黒く釣《つ》られたる案山子《かかし》は焼け焦《こが》らされし死骸のごとく、はるかの彼方に隠々として焔えつつ遠くなり近くなりパシ
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