次の日彼は家の床の下を捜《さぐ》りて、乗り崩したる竹馬を寡婦の家に持ちゆきて曰《いわ》く、これは兄貴が十五歳の時大雪の中を競走して勝ちを得たる竹馬なりと、翌日は黒塗りの横笛をもたらしゆき、こは氏神の秋祭に彼が吹きて誉れを得たるものなりと、二三日の後また一個の南天の盆栽を携えゆき、これは彼が生前われより兄費に譲るべく約せしものと、もし阿園が望まんには彼はなお幾個の遺物をも蒐《あつ》むべかりし、されど今は寡婦の満足ようやくに薄らぎ、遺物という詞も夫という詞も、早やその耳に幻力を失いたり、
 かくて忌中の三分の二は早や過ぎぬ、佐太郎が阿園を訪うこと、初めの一七日は午前にして、その後は多く午後に来たり、ようやくに夕景となり、このごろはまた朝昼夕の差別もなくなり、時には朝より夕までおりつづけて勇蔵の伝記を叙《の》べたり、しかしてその逸事のすでに尽くるころは、阿園の耳も勇蔵に厭《あ》き、今は佐太郎いねば留守を守る心地し、佐太郎もまた阿園の顔を離れては、己が家も逆旅《げきりょ》のごとく寂しく覚えぬ、
 村人はようやくこの謹直者を怪しめり、口さがなき女房らも、チラホラ寡婦の風説を伝え、佐太郎が夜々阿園の家に住むと言うものさえありき、されば意地|汚《きた》なき穴さがし、情人なき嫌《きら》われ者らは、両個《ふたり》の密事を看出《みいだ》して吹聴せんものと、夜々佐太郎が跡をつけ、夜遊びの壮年らも往き還《かえ》りにこの家の様子を窺《うかが》いぬ、かくして一週間も経たれども、何の怪しきこともなく、彼はただ戦場の譚《はなし》、浮世話を阿園に語り聞かせ、夜|更《ふ》くればその家に帰り、かつて午夜過ぐるまでいたることなければ、果ては彼らも心に恥じて口を閉じ、怪しき風評もやや薄らぎぬ、
 早や四十九日となりぬ、四十九日短く暮れて明くれば五十日、いよいよ忌の満つる日となれば、阿園がこの家におることも今は一日一夜となりぬ、この家よ、この家はげに阿園がためには幸いなかりし、彼はこの春の始めにこの家に嫁《とつ》ぎ、暮に夫に別れしなり、夫が遠征の百日間は、彼は空しく空閨《くうけい》を守りたりしが、夫を待ち得しと思いし日より、なお五十日の間、寂しき夜を怨《うら》み明かし、なお幾夜かくあるべくありしなり、阿園には夫婦の睦《むつ》みいまだ尽きず、閨《ねや》の温味《ぬくみ》いまだに冷えず、恋の夢ただ見初めたるのみなり
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