「オオ」と応うる勇蔵の答えのうちに戸はひらけ、一個《ひとり》の壮年入り来たり炉の傍の敷居に腰かけぬ、彼は洗濯衣を着装《きかざ》り、裳《すそ》を端折り行縢《むかばき》を着け草鞋《わらじ》をはきたり、彼は今両手に取れる菅笠《すげがさ》を膝《ひざ》の上にあげつつ、いと決然たる調子にて、「兄貴、われは今熊本の戦争に往《ゆ》くところにてちょっと暇乞《いとまご》いに立ちよりぬ」と言う、思いもよらぬ暇乞いに夫婦は痛くも驚いたり、
 彼は山田佐太郎と言う壮年、勇蔵には無二の友、二年前両親に逝《いな》れ、いと心細く世を送れる独身者なり、彼は性質素直にして謹み深く、余の壮年のごとく夜遊びもせず、いたずらなる情人も作らず、家に伝わる一畝の田を旦暮《たんぼ》に耕し耘《くさぎ》り、夜は縄《なわ》を綯《な》い草鞋を編み、その他の夜綯いを楽しみつ、夜綯いなき夜はこの家を訪い、温かなる家内の快楽を己《おの》がもののごとく嬉《うれ》しがり、夜|深《ふ》けぬ間に還《かえ》りて寝ぬ、されば彼は同年らに臆病者《おくびょうもの》と呼ばれ、少女情人らの噂にも働きなしとの評はあれど、父老らは彼を褒《ほ》め、彼を模範にその子を意見するほどなりき、しかして彼また決して臆病者にあらず、謹厚の人もまた絳衣《こうい》大冠すと驚かれたる劉郎《りゅうろう》の大胆、虎穴《こけつ》に入らずんば虎子を得ずと蹶起《けっき》したる班将軍が壮志、今やこの正直一図の壮年に顕われ、由々しくも彼を思い立たしめたり、
「和主《おぬし》が戦争にゆくとか」「しかり」「げにか」「げによ」「そは和主にしては感心のことなりいかにしてしか思い立ちしや」「どうという子細《しさい》はなけれど、いつまでかくてあるも不本意なれば、金を得て身を立てんとも思うなり」「和主には金より命の惜しからずや」「命とよ命は大丈夫なりわれらは戦うものにあらず、ただ戦場のはるか後まで兵糧弾薬を運ぶ人夫なれば、命は兄貴大丈夫なり」
 これまでただ佐太郎を試みたる勇蔵も、すでに旅装束して来たれる彼が気胆に痛くも打たれぬ、「シテ一日に幾何の賃銀を得べきか」「しかとはわれも知らねど、一日半金ないし一金を得べしと聞けり」「一日に一金とよ……和主一個か」「独《ひと》り」「他に誰も伴わなきや」「誰もなしただわれ独りなり」「かほどの思い立ちをわれに告げずということやある」「否告げてすげなく留めら
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