、平素の生活状態や、趣味|嗜好《かうし》[#「嗜好《かうし》」はママ]といふやうなものが、さながらの縮図となつて展開されて来る。
そして、一般に現代の向はうとしてゆく趣味なども此処《ここ》でよく見あらはされるのである。
此頃は買物をしても大抵包紙でつゝんで提げられるやうにしてくれるから、下町に買物にゆくには風呂敷を用意しなくても、可成《かなり》な分量を手に提げて電車にのれるだけはいくらでも買物をする事が出來る。
大きな風呂敷包をこさえて、それを夫人や令嬢が自身で持つのを厭《いと》つて、女中や書生のお伴をつれた人が銀座通りなどを歩いて居た図は、もう此頃は殆《ほとん》ど見られない。これも一つの時代の進歩であらうか。
私の育つ頃などは嫁入前の娘はお豆腐を買ひに行つたりする事はなりません、みつともないと云はれたものである。
指環や書物を買ひにゆくのは自慢で、何故《なぜ》豆腐一挺買ひに行つてはならないのか、理屈が分らないと反抗したのを覚えて居るが、今は貴婦人の商売人もあり、辻でビラをまき、物を売る事もあるやうになつた。
おさむらひ気質《かたぎ》がすたれて、次第に実力で押し通す時代が
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