べしとの勧めにより。一歳《ひととせ》欧州に遊歴せしに。帰朝の後は打って変りたる洋癖家となり。わが国の食物は衛生に害ありとて。もっぱら西洋の割烹《りょうり》を用い。家屋《すまい》も石造|玻窓《はそう》にかぎり。衣服は筒袖|※[#「口+尼」、第4水準2−3−73]布《らしゃ》ならでは着するを厭《いと》い。家の婢僕《ひぼく》に至るまでも。わが国振りの衣服を着せしめず。皆洋服の仕為着《しきせ》を用いしむるまでにして。一も西洋二も西洋と。かの風俗《てぶり》をのみまなぶこととなりぬ。これなん第一回にいでし。篠原浜子の父|通方《みちかた》なり。年は五十をこしたれども。男子《なんし》なくただ一人の女子《にょし》浜子のみなりければ。愛に溺《おぼ》るるとにはあらざれど。おのずからしつけもおろそかなるに。西洋の風とさえいえば何事もよしとして。西洋の娘子《むすめ》は交際をもっぱらとし。芝居見物。夜会。踏舞と昼も夜も遊びくらすものなりなどといえる咄しさえききかじりて。学校の修業などは二の次として。ピヤノ。バイオリンなどの稽古《けいこ》にのみ身をよせさせつ。またかの家庭の訓《おし》えは母親にありというなるに。そが
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