いのこえを聞き。錠口をあけて。
下女「どちらから。
女「あの山中から出ましてござりますが。やどが長々お世話になりましてありがとうござります。今朝私しも帰りまして。宅も明けましてござりますから。すぐに帰りますようおっしゃって。
下女「オヤ山中は手前でござりますが。今日はどなたもおいでにはなりません。
女「デハ篠原の嬢様のおうちではござりませんか。
下女「イエこちらでございます。
女「お嬢様におめにかかればわかりますでござりましょう。あの山中のさだでござりますが。ちょっとお目通りを願いとうござりますと。おとり次ぎを願います。
おさんはふしぎそうな顔をして。じろじろみながら奥へきたり。
下女「あの奥様。三十ばかりの待合茶屋のお神さんみたような人がまいりまして。ちょっとお目通りを願いたいと申します。
浜子は窓にうでをかけて。女学ざっしを読みいたりしが。
浜子「どんな人。
下女「あの通し小紋の羽おりを着て。大そういきな人で。何かいろいろ申しましたがわかりませんでした。
浜「せんに殿様のおせわになったおさださんじゃアないか。
下「なんでも貞とかなんとか申しました。
浜「アーあの人にちがいないよ。ここへ通しておくれ。
下「お逢い遊ばすの」とふしぎそうに出て行きしが。やがて案内をして連れきたれば。
浜「オヤどうも久しぶりで。
貞「まことにご無さたを申し上げました。しばらく用事かたがた見物に。大坂の方へまいっておりましたので。
浜「さようでござりましたとネ。いいご保養を遊ばしましたネー。
貞「あのまたやどが久しゅうおせわになっておりましておそれ入りました。
浜「オヤどなたが。
貞「あのやどがしばらくおせわになっておりまして。私しがるすでさびしいと申して。宅をしめきりてあがっておるそうでござります。まことにありがとうござります。
浜「私しは今の旦那様は存じませんが。どなたでござりますか。
貞「オホホホごじょう談ばかりおっしゃります。あのご存じの山中正で。
浜「何ですとえ。オホホホホホおかしい。
貞「なぜでござります。
浜「なぜだッてオホホホホホ。
お貞はわざとまじめになりて。
貞「なぜお笑いなさいます。
浜「なぜッて山中正は私しの何で。宅の主人ですものを。
お貞はわざとびっくりせし風にて。
貞「何でございます。アノお邸の……。それはほんとうでございますか。
浜「アラいやなネー。ほんとうにおききなさるの。ツイこないだ婚礼をしまして……。
貞「何ですとえ。婚礼……。オヤオヤマアどうもあきれッちまいますネー。あたくしゃアちっともそんなことは夢にも……。
浜「オヤそうでしたか。その婚礼もネ。少し取込みがありまして。まだ公《おもてむき》にはいたしませんがネ。一夫一婦の大礼もあげ。私しの財産でこの家も買いましたし。召仕いの者も皆里から連れて参りましたのです。
お貞はこの話をきかぬふりにて独語《ひとりごと》のように。
貞「マアどうも実にあきれちまうよ。だからいわないこッちゃアない。篠原の嬢さんのそぶりがおかしいから。だまかされちアいけないといッたんだものを。
浜「なんですって。私しがいつ人を詐譌《さぎ》するようなことをいたしました。
貞「さぎだか烏《からす》だかしりませんが。人の男をたらしこんで。イケシャアシャアとしたお嬢さんだ。
はま子は呆《あき》れてお貞の顔を打ちまもれど。かなたはますます声高に。
貞「こんだ大坂から帰ってきたら。おもてむきせんの旦那のしってる人に。仲人《なこうど》をしてもらうつもりの咄しになっているのですよ。今さらお嬢さんにねとられましたからって。あっけらかんとしていられやアしません。ともかくも山中を出して下さい。当人にききゃアわかるこってす。サア早く旦那を出して下さい。
浜「そんなことをいったて今はここにいやアしません。お前さんがそう罵詈《ばり》なさると。さも私しのわるいようで。人の手前もありますし。みっともないから……。
貞「ナニいばるッて。ヘンいばるというのは。金があると思ッてしたい放題のことをする奴《やつ》のことです。留守のうちに亭主を盗んで。イケシャアシャアとしていられちゃア。面目《めんぼく》なくってくやしくってたまりゃアしない。早く旦那をだしてください。
浜「ぬすんだとはなんです。そう人をざんぼうなさッては。法律に触れましょう。仮にも華族の名義もありますから。
貞「オヤオヤはじめて伺いました。ひしゃくとかしゃくしとかのお姫さんは。人の男をどろぼうしても。御法にはふれないのですか。
浜「私しはどろぼうなんどということは存じません。とにかく山中は私しの殿様でござります……。早くだれか来てこの狂人《きちがい》をおもてへ出しておしまい。
貞「きちげえとはなんだ。はばかりながらしらきちょうめんの人間だ。こんなわからずやに咄し
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