もを着せ、またその時代固有の道徳を吹き込んでも、一向さしつかえはないのだ。この本の中では、神話はその古典的な外貌の多くを失ったかも知れない(いずれにしても、著者はそれをつとめて保存しようともしなかったのであるが)、そして、おそらく、粗野《ゴシック》な、或《あるい》は浪漫的《ロマンチック》なものになってしまったかも知れない。
 この愉快な仕事をするに当って――というのは、それはほんとに夏向の仕事だったし、また、著者が今までにくわだてた文学的な仕事のうちで、最もこころよいものの一つだったから――著者は、子供達によく分らせるために、常に調子を下げて書かなくてはならないとも考えなかった。話の性質上、自然にそうなって行く時とか、また著者の気持が話につれて、われ知らず高揚して行くような時には、大抵の場合、話の調子が高くなるがままに放任した。子供達は、想像の上でも感情の上でも、それがどんなに深く、或は高いものであっても、同時に単純でさえあれば、おそろしく分りのいいものだ。子供達を面喰《めんくら》わせるものは、ただあまりにひねくりまわした、こみ入ったものだけなのである。
[#改丁]

     タング
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