、フィリーモンとボーシスとは、その大理石の立派な邸宅にはいって、この方面を通りかかる人を、だれかれの差別なく喜ばせ、楽しませることを、自分達もこの上なく満足に思って、日を送りました。それから、言い忘れてはならないことは、あの牛乳壺が、一杯になってくれればいいなあと思う時は、いつでも一杯になって、決して空《から》っぽになることがないという不思議な力を、いつまでもそのまま持っていたことです。正直な、機嫌のいい、けちけちしない客が、その壺の牛乳を飲むと、それはいつでもきまって、これまでに飲んだこともないような、おいしくて、元気のつく牛乳でした。しかし、もしも機嫌の悪い、不愉快な、けちんぼうがそれをすすったら、大抵はむずかしいしかめっ面《つら》をして、この壺の牛乳はすっぱいというにきまっていました。
その老夫婦は、こんな風にして、長い長い間その邸宅に暮らして、だんだん年を取って、大変な年寄になりました。ところが、とうとう夏の或る朝のこと、いつもならば二人のやさしい顔に、同じような、親切な微笑を一杯に浮かべて、ゆうべから泊まっている客を朝飯に呼びに来るのに、その姿が見えませんでした。客達は、そ
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