、フィリーモンとボーシスとは、その大理石の立派な邸宅にはいって、この方面を通りかかる人を、だれかれの差別なく喜ばせ、楽しませることを、自分達もこの上なく満足に思って、日を送りました。それから、言い忘れてはならないことは、あの牛乳壺が、一杯になってくれればいいなあと思う時は、いつでも一杯になって、決して空《から》っぽになることがないという不思議な力を、いつまでもそのまま持っていたことです。正直な、機嫌のいい、けちけちしない客が、その壺の牛乳を飲むと、それはいつでもきまって、これまでに飲んだこともないような、おいしくて、元気のつく牛乳でした。しかし、もしも機嫌の悪い、不愉快な、けちんぼうがそれをすすったら、大抵はむずかしいしかめっ面《つら》をして、この壺の牛乳はすっぱいというにきまっていました。
その老夫婦は、こんな風にして、長い長い間その邸宅に暮らして、だんだん年を取って、大変な年寄になりました。ところが、とうとう夏の或る朝のこと、いつもならば二人のやさしい顔に、同じような、親切な微笑を一杯に浮かべて、ゆうべから泊まっている客を朝飯に呼びに来るのに、その姿が見えませんでした。客達は、その広い邸宅の上から下まで、隈《くま》なく捜してみましたが、まるで駄目でした。しかし、いろいろと頭をひねった末、彼等は玄関の前に、二本の古い木を見つけました。昨日まで、誰もそんなところに木の生えているのを見た覚えはなかったのです。それでも、それらの木は、根を深く土におろして生えていて、その大きくひろがった枝葉《えだは》が、邸宅の正面一杯に影を落していました。一本は樫の木で、他の一本は菩提樹でした。両方の木の大きな枝は、互にからみ合い、抱き合って、ちょうど二本の木が別々に生えているのではなくて、お互の胸によりかかって生えているといった具合なのですが、――それが、見た目に、いかにも不思議な、美しいものでした。
これまでになるには少くとも百年はかかったろうと思われるこれらの木が、どうして一晩のうちにこんなに高く、古くなったものかと客達がおどろいていると、俄かに風が吹いて来て、二本の木の、からみ合った大きな枝をゆり動かしました。そして、まるでその二本の不思議な木が物を言っているように、空中で、深い、はっきりした囁《ささや》きが聞えました。
『わしは年取ったフィリーモンです!』と樫の木は囁きまし
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