》で汽車を下りて車に乘つた。折柄の名月で、爽かな音を立てゝ流れる千曲川は銀色に光つてゐた。長い橋を渡る時欄干に腰かけてゐる二人の女を見た。その一人が此の邊には珍しい都の風情だつた。白いうなじと廣い帶を車上から見て過ぎたが、前の車に乘つてゐる相棒も振返つて見てゐた。
 車やに連れこまれたのは汚《きた》ない旅人宿だつた。麥酒《ビール》と林檎を持つて直に姨捨に登つた。稻が延びてゐるので田毎の月の趣は無かつたが、蟲の音が滿山をこめて幼稚な詩情を誘つた。
 宿に歸ると、あがりがまちに先刻《さつき》の車やの一人が酒を飮んでゐた。吾々を見ると、これから郡の大雲寺といふのに案内するといひ出した。
「わしやあ錢ほしいぢやあねえでごわす。道歩くのが道樂でごわすから。郡の大雲寺の石垣はまづ大きいものでごわすわ。わしや知んねえが廣い東京にもあれ丈のものはごわすまい。春はまづ櫻の名所でごわすわ。わしやあ錢ほしいぢやあねえでごわす。」
 と呂律の廻らないのがしきりに御伴《おとも》するといふ。こんな汚ない宿屋にゐても面白くないから、勸めるまゝに從つた。車やは千鳥足で先に立つたが、ふらふら搖れて行く月下の影は狐のやう
前へ 次へ
全18ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング