かつた。善光寺の御堂も淺草の觀音樣程なつかしくなかつた。御燈明をあげ、お階段廻りをして外に出ると、山の影が町に迫つて既に暗かつた。
此處に一泊するのはつまらないといふので、姨捨《をばすて》の月を見る事にした。
驛の待合室で見た光景も忘れ難いものであつた。手に手に提燈を持つた巡査、フロツク・コオトや、紋附の役人や土地の有志に取卷れてゐる、群を拔いた大男と、川島武男のやうに氣取つた士官と、喪服の婦人を見た。大男は知事で馬鹿馬鹿しく尊大な態度だつた。喪服の婦人の良人で、海軍士官の兄に當る人が此地で死んで、遺骨が見送られる場面だつた。それ丈の事ならば長く記憶に殘る筈は無いのだが、その婦人が勝れて美しいといふ方では無かつたけれど四圍と調和しない程|粹《いき》なからだつきで、泣いた頬におくれ毛のへばりついたまゝ、冷々として見送の人を見てゐたのである。そのめつきは、ながしめといつてもよく、きつく結んだ口邊には冷笑に似た影さへあつた。藝者の風情を持つその婦人は、喜多村緑郎が手がける泉鏡花先生作中の人物のやうに思はれた。私と相棒とは、後々迄此の婦人にさまざまの色彩をつけ足して噂した。
屋代《やしろ
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