ふ女がゐたといふ事ははつきり記憶してゐるのだが、その顏かたちはすつかり忘れてしまつた。否、その女ばかりでは無く、一座の者の顏かたちも、たつた一人の座頭の外はすつかり忘れてしまつた。どうしたものか薄痘瘡の座頭丈は、その後歌舞伎座や帝國劇場の大舞臺を見てゐる時、何のきつかけも無く想ひ出すのである。色の褪めた大形の鳥打帽子、浴衣の上に腑のぬけた絽の羽織を着て、仲間うちでは格式を示しながら、側にゐる唐人髷の娘に饅頭を二つに割つて半分を與へ、あとの半分をさもうまさうに喰べてゐた姿を、三等の汽車に特有のお辨當のにほひと共に想ひ出すのである。大歌舞伎の舞臺を見ながら旅役者を想ひ出すのは、如何いふ連想の脈が成立つてゐるのか知らないが、こんな無益に立派な劇場を一日買切つて、ああいふどん底の役者に思ふ存分の芝居をさせて見たいと思ふのである。
 八月のなかばだつたが、碓氷《うすひ》峠を越《こえ》ると秋の景色だつた。百合撫子萩桔梗|紫苑《しをん》女郎花《をみなへし》を吹く風の色が白かつた。草津へ通ふ馬の背の客の上半身が草の穗の上にあらはれてゐた。淺間は男性的な姿を空に描いて居た。
 長野の町は吾々の氣に入らな
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