晴の空にそそり立つ此の國の山々の姿を想ひ描くのである。
 山といふと、私は第一に淺間山をなつかしく思ふ。燒土ばかりの富士の山は、遙かに下界から仰ぎ見るをよしとする。空氣の固く冷たい信濃の高原の落葉松《からまつ》の林の向うに烟を吐く淺間は生きて居る。詩がある。私はまだ、山の彼方に幸ひの國があると夢見てゐた少年の日に登つた。
 もつとも、一度は麓迄行つて大雨の爲めに追拂はれてしまつた。既に二十二三年前の事である。當時の相棒と東京を立つ時は、先づ長野に行き、それから輕井澤に引返して淺間へ登らうといふ計畫だつた。
 古びた記憶の中に、旅で逢つた二三の人の姿がはつきりと殘つてゐる。その中には、汽車に乘合せた旅役者の群もある。座頭らしい薄痘瘡《うすあばた》の男、その女房、十二三の娘、色の青白い黒眼鏡の女形らしい男、その男に寄添つてゐる十八九の田舍娘。空想好の私は、外の者とは口もきかず、寧ろおど/″\しながら、只管隣席の男に身も心もゆだねた樣子でもたれかゝつてゐる田舍風の女を見て、旅役者にだまされて家を捨てたのでは無いかと想ひ、硯友社時代の小説のやうにはかない行末を作りあげて同情した。しかし、さうい
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