で皆いけなくなりやすが、それにやあ病人を便所へやらねえ工風をしねえぢやいけやせん。まづ爐の上に板を渡し、又その上に蒲團を敷き、蒲團も板も病人の着物も、恰度お尻の當るところをまるく切拔きやして、病人がまり[#「まり」に傍点]度がつたつちやあ寢かしたまゝでやらせるやうにするでごわすわ。それで醫者の藥は駄目でごわすから無花果の葉を煎じていやつつう程飮ませるがいゝでごわす。飛彈ではみんなそれで助かるんで、なあに醫者の藥なんかきくもんぢやごわしねえ。一體藥つつうものは人間の壽命を延ばす事は出來ねえもので、たゞ苦痛をすくなくするばかでごわす。人間つうものは生れた時から十歳で死ぬか七十で死ぬかちやんときめられて來るものだで、藥だらうが何だらうが壽命丈はどうする事も出來るもんぢやごわしねえ。人間何時死ぬかつう事も、親の生れた時と子の生れた時さへはつきりわかつてせえゐりやあ、すつかり知れるものでごわすからなあ。××寺の先の隱居なんか何月何日何時に死ぬつて知つてたから、さあ其の日になりやすと、頭を綺麗に剃りやして、白い着物を着て、さあ今死ぬぞつつうて弟子やなんかを呼集めたが、一時間たつても二時間たつても死なねえわ。そんな筈はねえがつて云つたつて、現在死なねえだからしやうがねえ。そんな理窟はねえ筈だと云つたが、その日はたうとう死なずに濟んで、隱居も首をひねりやした。ところがどうだ、これが生れた時を間違へて勘定してゐた事がわかつて、さあこれから二百七十日たつと、今度こそはほんとに死ぬぞつて事になりやした。それが二百七十日目に、ころりと死んでしまひやしたぞ。つまり誰でも死ぬ時はきまつて居るでごわすわ。わしらとこの息子も二人とも十歳にもならねえでいけなくなりやしたが、これも定命《ぢやうみやう》で、實は此の人間の生れる月といふものは一年のうちに四月《よつき》しかねえでごわす。その外の月に生れた子はどうしても十歳より上に生延《いきのび》る事がごわせん。もう三千年も前の人でお釋迦樣つつう人は究理家でごわしたなあ。人は三百六十の骨、四萬八千の毛穴ありと、ちやんと本に書いてゐやすからなあ。そればかりぢやあごわせん。何の動物には何本の骨がある。何の蟲には幾本の骨がある。何の鳥には何本の毛がある。ちやあんとしらべがとゞいてゐやすわ。ところがこれも理窟を知つて見ればわけのねえ事で、すべて動物は胎生卵生濕氣生化
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