あろう。私は長じた後の日に彩った記憶だと知りながら、お鶴に別れた夕暮の私を懐かしいものとして忘れない。
「お鶴は行ってしまうのだ」
と思うと眼が霞《かす》んで何にも見えなくなって、今までにお鶴がささやいた断《き》れ断《ぎ》れの言葉や、まだ残っている頬擦りや接吻《くちづけ》の温《あたた》かさ柔かさもすべて涙の中に溶けて行って私に残るものは悲哀《かなしみ》ばかりかと思われる。堪《こら》えようとしても浮ぶ涙を紛らすために庭へ出て崖端に立った。「お鶴の家はどこだろう」傾く日ざしがわずかに残る、一様に黒い長屋造りの場末の町とてどうしてそれが見分けられよう。悲哀に満ちた胸を抱いてほしいままに町へも出られない掟と誡めとに縛られるお屋敷の子は明日にもお鶴が売られて行く遠い下町に限りも知らず憧《あこ》がれた。「子供には買えないという芸者になるお鶴と一日も早く大人になって遊びたい」
見る見る落日の薄明《うすらあかり》も名残《なご》りなく消えて行けば、
「蛙《かえる》が鳴いたから帰えろ帰えろ」
と子供の声も黄昏《たそが》れて水底《みなそこ》のように初秋の夕霧が流れ渡る町々にチラチラと灯《ともしび》[#
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