出来ない。私の家を終りとして丘の上は屋敷門の薄暗い底には何物か潜んでいるように、牢獄《ひとや》のような大きな構造《かまえ》の家が厳《いか》めしい塀《へい》を連ねて、どこの家でも広く取り囲んだ庭には欝蒼《うっそう》と茂った樹木の間に春は梅、桜、桃、李《すもも》が咲き揃《そろ》って、風の吹く日にはどこの家の梢《こずえ》から散るのか見も知らぬいろいろの花が庭に散り敷いた。そればかりではない、もう二十年も前にその丘を去った私の幼い心にも深く沁《し》み込んで忘れられないのは、寂然《ひっそり》した屋敷屋敷から、花のころ月の宵《よい》などには申し合わせたように単調な懶《ものう》い、古びた琴の音が洩《も》れ聞えて淋《さび》しい涙を誘うのであった。私はこうした丘の上に生まれた。静寂《しずか》な重苦しい陰欝なこの丘の端《はず》れから狭いだらだら坂を下ると、カラリと四囲《あたり》の空気は変ってせせこましい、軒の低い家ばかりの場末の町が帯のように繁華な下町の真中へと続いていた。
今も静かに眼を閉じて昔を描けば、坂の両側の小さな、つつましやかな商家がとびとびながらも瞭然《はっきり》と浮んで来る。赤々と禿《は》
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