屋根と屋根との打ち続く坂下は奇麗に花々しく見えるのに、塀《へい》と塀とは続いても隣の家の物音さえ聞えない坂上は大きな屋敷門に提灯の配合《うつり》が悪く、かえって墓場のように淋しかった。そればかりか私の家なぞは祭りと言っても別段何をするのでもないのに引き替えて商家では稼業《かぎょう》を休んでまでも店先に金屏風《きんびょうぶ》を立て廻し、緋毛氈《ひもうせん》を敷き、曲りくねった遠州流の生花を飾って客を待つ。娘たちも平生《ふだん》とは見違えるように奇麗に着飾って何かにつけてはれがましく仰山な声を上げる。若い衆子供はそれぞれ揃《そろ》いの浴衣で威勢よく馳け廻る。ワッショウワッショウワッショウと神輿《みこし》を担《かつ》ぐ声はたださえ汗ばんだ町中の大路小路に暑苦しく聞える。こういう時に日ごろ町内から憎まれていたり、祝儀《しゅうぎ》の心附けが少なかったりした家は思わぬ返報《しかえし》をされるものだった。坂上の屋敷へも鉄棒でガチャンガチャン[#「ガチャンガチャン」に傍点]と地面を打って脅かす奴を真先にいずれも酒気を吐いてワッショイワッショイと神輿を担ぎ込む。それをば、もう来るころと待っていて若干《いくらか》祝儀を出すとまたワッショウワッショウと温和《おとな》しく引き上げて行くがいつの祭りの時だったかお隣の大竹さんでは心付けが少ないと言うので神輿の先棒で板塀を滅茶滅茶《めちゃめちゃ》に衝き破られたことがあったのを、わが家も同じ目に逢わされはしないかと限りなき恐怖をもって私は玄関の障子を細目にあけながら乳母の袖の下に隠れて恐々神輿が黒門の外の明るい町へと引き上げて行くのを覗いたものだった。子供連もてんでに樽神輿《たるみこし》を担ぎ廻って喧嘩の花を咲かせる。揃いの浴衣に黄色く染めた麻糸に鈴を付けた襷《たすき》をして、真新しい手拭を向う鉢巻《はちまき》にし、白足袋《しろたび》の足にまでも汗を流してヤッチョウヤッチョウと馳け出すと背中の鈴がチャラチャラ[#「チャラチャラ」に傍点]鳴った。女中に手を曳《ひ》かれて人込みにおどおどしながら町の片端を平生の服装《みなり》で賑わいを見物するお屋敷の子は、金ちゃんや清ちゃんの汗みずくになって飛び廻る姿をどんなに羨ましくも悲しくも見送ったろう。
やがて祭りが終っても柳屋の店先はお祭りの話ばかりだった。向う横町の樽神輿と衝突した子供たちの功名談を妬《ねた》ましいほど勇ましいと思った。若い衆の間に評判される踊り屋台にお鶴が出たということは限りなく美しいものに憧《あこが》るる私の心を喜ばせたとともに自分がそれを見なかった口惜しさもいかばかり深いものであったろう。けれども私はすぐさまわが羨望《せんぼう》の的だった絵双紙屋の店先の滝夜叉姫の一枚絵をお鶴と結びつけてしまった。お鶴の膝に抱かれながら私は聞いた。
「お鶴さんは踊り屋台に出て何をしたの」
「何だったろう。当てて御覧」
「滝夜叉かい」
「エエなぜ」
「だって滝夜叉が一番いいんだもの」
お鶴は嬉《うれ》しそうに笑ってまた頬擦りをするのだった。真実《ほんと》にお鶴が滝夜叉姫になったのかどうか。私の言うままに、良い加減にそうだと答えたものなのか私は知らないが、古い錦絵《にしきえ》の滝夜叉姫と踊り屋台に立ったお鶴とは全く同一《おんなじ》だったように思われて、踊り屋台を見なかったにもかかわらず二十年後の今もなお私はまざまざと美しい絵にしてそれを幻に見ることが出来る。
土用のうちは海近い南の浜辺で暮した。一|時《とき》として静まらぬ海の不思議がすでに子供心を奪ってしまったので私は物欲しい心持を知らずに過ぎた。けれども海岸の防風林にもつれない風が日に日に吹きつのり別荘町も淋しくなる八月の末には都へ帰らなければならなかった。帰った当座は住み馴れたわが家も何だか物珍しく思われたが夏の緑に常よりも一層暗くなった室の中に大人のようにぐったり[#「ぐったり」に傍点]と昼寝する辛棒も出来ないので私はまた久しぶりで町をおとずれた。木蔭《こかげ》の少ない町中は瓦屋根にキラキラと残暑が光って亀裂《きれつ》の出来た往来は通り魔のした後のように時々一人として行人の影を止めないで森閑としてしまう。柳屋の店先に立った私を迎えたのは、店棚《みせだな》の陰に白い団扇《うちわ》を手にして坐っていた清ちゃんの姉さん一人だった。
「マアしばらくぶりねえ。どこへ行っていらしったの。そんなに日に焼けて」
娘はニコニコして私を店に腰掛けさせ団扇で※[#「てへん+扇の旧字」、18−上−14]《あお》ぎながら話しかけた。
「誰もいないのかい。清ちゃんも」
「エエ。今しがた皆で蝉《せみ》を取るって崖へ行ったようですよ」
「誰も来ないのかなあ」
つまらなそうに私は繰り返して言った。
「誰もって誰さ。アアわかった。坊ち
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