ぶか、退いて一人密かに果敢ながつてゐるかといへば、久保田君は當然第二の道を歩む詩人である。泉鏡花先生のやうに、聲を張上げて威勢よく、現代の野暮と不粹を罵倒したり、永井荷風先生のやうに、徹底的に社會人事の虚僞と僞善を指摘する事は、久保田君には思ひも及ばない。同時に又、泉先生のやうに、過去の讚美に熱狂したり、永井先生のやうに、追憶囘顧の文字に詠嘆を縱《ほしいまゝ》にする程抒情的でも無い。まして況や新しき村に、不便を忍んで移住する程の實行力も芝居氣も無い。夢は夢で、憧憬の實現に努力するのは馬鹿々々しいのである。且つ又久保田君の思想の根柢には、世の中は日に日に惡くなるばかりで、人力を以てしては如何する事も出來ないといふ觀念が根強くわだかまつて居る。世の中の惡くなつた嘆きを身の周圍に持ちながら、決して今日の世の中を呪詛しもしなければ、それに對して反抗もしない。その惡くなつた原因を考へもしなければ、その原因を取除かうともしない。何故惡くなつたのか、何故惡いのかも考へない。あき足りないにはあき足りないが、さりとて、それが熱して不平不滿になるのでもない。ただ一人密かに心底から寂しくなつてしまふのである
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