といふべきである。
 けれども久保田君にとつては――同君自身の幸福なる結婚は別として――世上の戀は遂に果敢ない夢に等しい。あらゆるものが、廣大な力を以て押迫る世の中の自然の推移に押流されて行くのだと、あきらめて居る久保田君の根本思想から見て、戀愛も亦一瞬間の覺め易い夢に過ぎない。それは必ず果敢なくさめて、殘るのは涙ぐましい過去の追慕か、或は寂しいあきらめに入る外はない。久保田君の作品の二三を讀めば、敏感なる讀者は直ぐに氣が付くに違ひ無い。戀の成就といふ事は、詩人久保田万太郎君にとつては、思ひも掛けない事である。戀は破れ、さうしてその夢は白々とさめなければならない。その白々とさめた後の生活に久保田君の詩は完全に育《はぐ》くまれる。
 詩人の常として、久保田君も亦常に夢を追ふ人である。同時に又執着に淡い、物わかりの早い東京の人の弱々しさから、その憧憬も夢想も見る間に果敢なく破れ去つてしまふ事をよく知つてゐる。結局は淡い夢の世界から、寂しいあきらめの世界へおちつく事になるのである。
 もとより久保田君にとつては、現在の世の中は結構なものとは考へられない。そんなら進んで蕪雜亂脈な社會の改造を叫
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