同傾向の作品が不幸にも存在して居るが、それとても嚴密な意味で情話とはいひにくい。矢張り久保田君一流の、果敢ない心持を主として描いた作品で、少くとも長田幹彦氏や近松秋江氏の、所謂艶麗な作品などと同列に置かる可きものではない。さうして此種の作品は、まとまりのいい、簡素な短篇を得意とする久保田君には似もやらず、冗長散漫で、常に失敗に終つてゐる。到底此の作者の如き執着に淡い人は、戀愛小説の作者にはなり切れないのである。
結婚の豫告と共に贈られた「戀の日」を手にした時、その「戀の日」といふ表題が、いかにも内容にそぐはないものに思はれた。「末枯《うらがれ》」「さざめ雪」「三の切《きり》」「冬至」「影繪」「夏萩」「潮の音」「老犬」の八篇、何れも無戀愛小説である。何處にも戀の場面は無い。だがしかし、つらつら考へると、或は久保田君にとつては、文字以外の深い意味があるのかもしれない。無理にも氣を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]してみれば、これは作者自身の戀の日に出來た創作なので、作品そのものが戀の日なのではないのかもしれない。果してさうとすれば、「戀の日」一卷は愈々久保田君の結婚を紀念するもの
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