な氣がするよ。」
「ほんとにああいふのが居てくれると頼母しい。」
などと云ひあつた事もあつたが、その自分さへ近頃の久保田君の出たらめには幾度となく迷はされて、何が何だかわからなくなつて、癇癪を起した事も數へ切れなくなつた。
かういふ變化が何に原因するものかを自分は知らない。恐らくは小説家の常として、久保田君は之を戀愛にでも歸するかもしれない。しかしつくづく考へてみると、矢張り本來の性質の一面が、他の一面を壓服して特別の發達を遂げたものと見るのが至當かもしれない。
「文壇電話」といふ綽名《あだな》をつけた人がある。彼方此方《あつちこつち》と喋り歩いて、忽ち噂を廣げるといふ意味なのださうだ。時には本屋の番頭らしい事がある。時には役者の男衆らしい事もある。それ程|變《へん》てこに顏が廣くなつてしまつた。
いたづらに狼狽《あわたゞ》しく散漫な日常生活は、到底久保田君をして充分に創作の才能を發揮させなくなつた。大正五年の秋、自分が外國から歸つて來た時、久々で逢つた久保田君は、恰も永井荷風先生が編輯主任をおやめになつた後の、つぶれかかつた「三田文學」を、如何《どう》にでもして續けて行かう、そ
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