わかる人々は、此の陣笠の聲の中にも眞實のある事を認めるであらう。
「戀の日」を再讀三讀して卷を閉ぢた時、自分は不思議な氣持がした。その昔頼母しがられた頃はいざしらず、此の頃の、出たらめの、安受合の、ちやらつぽこだと思つてゐた久保田君が、尚斯くの如き靜寂至純なる藝術境を把持して、完全無缺な作品を發表し得る事の不可思議に驚いたのだ。人間が偉くなければ、立派な作品は出來ないと思つてゐる自分の信仰がぐらついた。矢張り久保田君は偉い人だつたのかと思ひ出した。幾度も幾度も、此の問題を頭腦《あたま》の中で繰返して居る間に、平生藝術家久保田君を見くびり勝な、其處いらに居る人間どものぼんくらと無禮が癪に障つて來た。自分自身の目はしの利かなかつた事も亦腹立たしくなつて來た。正直のところ、自分は久保田君の藝術の力に、完全に頭を垂れて膝まづいたのである。
最近、陸軍簡閲點呼に召集されて上京した時、忙しい中で、新婚の久保田君夫妻に逢つた。もの優しい新夫人を傍にして坐つた久保田君は、見違へるばかり身體《からだ》はひきしまり、一頃の浮調子とはうつて變つて落ちついてゐた。堂々とした花婿だつた。さうして斯ういふ場合に
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