も、人手に渡さなければならなくなつた鈴むらさん――どういふわけでむら[#「むら」に傍点]と平假名で書かなければならないのかわからないが、甚しくかうした事に依怙地《いこぢ》な久保田君は、鈴村さんと書いたのでは、その人物を彷彿する事が出來ないのであらう――も、せん枝も、扇朝も、さては小よしも、死んだ柏枝も、さうして又老犬エスも、その他ちらちら舞臺に出て來る程の人のすべてが、何れも此の移りゆく世の犧牲者に外ならない。
作者は鈴むらさんについてかう書いてゐる。
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このごろの鈴むらさんの、退屈な、さうして、便りない、枯野のやうな生涯がいまさらのやうにせん枝の胸に浮んだ。――蔭で、種々、何のかのと勝手なことはいつても、考へると――すこしでも以前のことが考へられると、矢張、なほ、せん枝は、暗い、泪ぐましいやうな心もちになることが爲方がなかつた。
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茲に枯野のやうな生涯といはれて居るのは鈴むらさんの事だけれど、それは又鈴むらさんの事を胸に浮べてゐるせん枝の生涯にも、義理を知らない人間だといはれてゐる扇朝の生涯にも、あてはまる言葉である。否「戀の日」一卷
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