で江戸つ子だと思ふ程單純な世間の人に、江戸つ子は江戸つ子に違ひないが、江戸つ子の中の淺草つ子だといふ事を教へ度い。
 淺草の詩人は、淺草を知る事が深ければ深い程、淺草以外の世界を知らない事驚くばかりである。「戀の日」の中の一篇「潮の音」の如き、本來淺草には縁遠い學生々活を描いたもので、これが久保田君程の作家の手になつたものとは受取れない程幼稚だ。新派の役者の演《や》る華族、役人、軍人のやうに氣が利かない。しかも悲慘な事には、新派の役者が、華族、役人、軍人などに充分扮し得たつもりでゐるやうに、久保田君自身は、ちつとも此の半馬《はんま》な事を知らないのである。曾て久保田君が淺草田原町に居た頃、
「何しろ町内で大學に通つてるのは私一人きりなんです。」
 と云つた事があつた。家庭とその周圍の空氣が、學校といふものには全く縁遠い爲め、學校といふものを買ひかぶつてゐるのである。既に大學を卒業し、浪花節|語《かたり》と藝術家とをひつくるめて政策の具に供しようとする大臣と膝組で、演劇の改良をはかる久保田君の如きは、當然大學者だと思はれてゐるに違ひない。かういふ周圍の影響から、久保田君自身さへ、學校を正當に了解してゐないで、一種の理想郷のやうに考へてゐた事は、その隨筆や談話筆記の中に、屡々學校に對する少年時の憧憬が、懷しさうに物語られてゐる事實によつて推測される。「潮の音」の失敗の如きは、此の無理解に基因する事いふ迄も無い。幸にして久保田君は、此の頃世に謂ふ所の知識階級に材料を取つたためしが無い。まことに己を知るもので、萬一敢て此の冒險を行つたら、忽ち新派の役者の寫實になる事は疑も無い。
 そのかはりに、故郷淺草を背景にした場合には、久保田君程適確微妙に地方色を描き出す人は少い。「末枯」も「老犬」も「さざめ雪」も「三の切」も、その他曾て發表した勝れた作品の殆ど全部が淺草である。落語家、宗匠、鳶頭、細工物の職人、小賣商人、その女房、番頭、女中、丁稚、さうして時に旦那と呼ばれるその旦那さへ、何處かに安いところがついて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてゐるところ、飽迄も淺草である。その人々の心の底迄、久保田君は靜に、しかしおもひやり深く味はひ盡して居る。かういふ條件のすべてを完全に備へ、しかも久保田君一流の寫實主義が、立派に成功したものが「戀の日」の卷頭を飾る「末枯《うらがれ》
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