られればね。」
少し中腹《ちゆうつぱら》で返事をしても、彼には通じないところがあつた。
話をしてゐる中に、最初不良少年かと思つた程無遠慮に見えたのも、口のきき方のぞんざいなのも、要するに彼がぼんぼんだからだと解つて來た。女の姉妹《きやうだい》はあるが男は一人きりだといふ彼は、父母の懷に甘つたれて育つたに違ひない。さう思つた時、自分は我儘らしい少年の態度を是認した。
元來未見の人に逢ふのを好まない自分は、たまたま知らない人に面會を求められるのを、何よりも迷惑な出來事の一に數へてゐる。
紹介も無しに突然人を訪れるのは新聞記者か雜誌記者に多いが、行儀が惡く、人擦れてゐて、且つ他人の迷惑には頓着しない點に於て、世に所謂文學書生も新聞記者に劣らない者である。
自分は平素貴下の作品を愛讀してゐるものであるが、一度親しく謦咳に接して御高見を拜聽し度いといふやうな申出は、難有《ありがた》迷惑な次第には違ひ無いが、たとへ斷るにしても叮嚀に斷るべき筋合であらう。手酷しいのになると、自分は「文章世界」の投書家で、田山花袋氏選の懸賞募集文に幾囘か當選した前途有望の青年であるが、物質的窮乏に壓迫されて、自由に才能を延ばす事が出來ないから、どうか先生と同居させて下さいなどと、一時間も二時間も坐り込んでゐて動かないのがある。さういふ連中に比べて、此の少年の邪氣の無い態度は自分をして餘り苛々させなかつた。
長い間兎角途絶え勝ではあつたが、何とまとまつた事も無く、いろんな話をした後で、
「どうか此の次には私の書いた小説を持つて來ますから直して下さい。」
と云つて少年は歸つて行つた。
それ以來自分を先生々々と呼ぶ少年は度々訪れて來るやうになつた。
幾篇かの小説の原稿を持つて來て見せもした。極端に幼稚拙劣な字で書いた假名づかひも文法も滅茶《めちや》々々の文章で綴つた小説で、隨分讀みにくいものであつたが、多分飜譯物で覺え込んだらしい直譯體に近い形容や句切りが、全く類の無い文體を形成して、噛みしめてゐると存外味が出て來るのであつた。題材はぼんぼんに似合はず苦勞人の見た世の中らしく、かなり深刻に觀察して、一種重苦しい氣分を起させるやうなものが多かつた。谷崎潤一郎氏の華々しい小説を愛讀すると云ひながら、彼自身の作風はどつちかと云へば自然派の物に近かつた。その文章の亂雜な通り、一篇の結構も緊縮を缺いてだらだらしているが、その癖妙に力の籠つたところがあつて、割合に大まかな味はひを持つて居るのであつた。自分はそれらの小説を讀んで上手《うま》いとも下手《まづ》いとも決める事が出來なかつた。
「是非批評して下さい。」
と膝を進ませる相手に對して、
「面白いには面白いけれど、隨分文字や假名づかひは亂暴だね。」
などと當らず觸らずの事を云ふより他に爲方がなかつた。
「字なんかどないだつて構やせん。」
少年は自信のある口をきいて、飽迄も字づかひなどは念頭に浮べず、間違ひだらけの儘で押し通した。
書上げると直ぐに持つて來て見せる小説を讀んでゐるうちに、自分は面白い發見をした。それは彼の作品の何れにも必ず或エロテイツクな場面の出て來る事である。學校教員の生活を描いても、會社員の生活を描いても、何かしら性慾の壓迫から起る事件を結び付けなくては承知しなかつた。「蒲團」を愛讀し、谷崎氏の作品を愛好する理由が、初めて自分にも解つた氣がした。
氣が附いて見ると、彼は曾て一度も、エロテイツクな場面を持たない小説をほめた事が無い。少くとも所謂無戀愛小説は讀む氣にもならないらしい。「海上日記」以來まるつきり戀愛小説に縁の遠くなつた自分の如きは、面とむかつて攻撃された。
「先生の物は昔の方がよろしいな。」
とも云ひ、
「何かもつと濃厚な物を書いたらどうですか。」
とも云つた。
少し邪推してみると、彼は屡々中學の文藝愛好家にみる如く、所謂文士の生活を、遊蕩と必然の關係のあるものとして憧憬してゐる傾向があつた。その文士の集まつてゐる東京では、年が年中寄合ひがあつて、賑かな生活をして居るものと推測してゐるらしかつた。恰も大阪の不良少年が、あの大阪式の言語道斷に俗惡な酒場《バア》で、毎晩々々給仕女を張つてゐるやうな生活をさへ、彼は藝術家の特權か何かと考へてゐるらしかつた。わざわざ變な服裝をするのも藝術家の一資格かと思ひ違へてゐるらしかつた。
從つて、物堅い家に育つた若者の服裝をして、酒場に入浸るよりも下宿に閉ぢ籠つて居る日の方が多いかくいふ先生の如きは、最初彼にとつて幻滅の感を抱かせたに違ひない。
自分は又しても大人の臆病心に襲はれて、機會さへあれば眞面目な顏付をして訓戒めいたことを口にした。若し彼の推測するやうに、文士といふものが酒と女にばかりかかりあつてゐたら、時間と精力を消
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