理にも主觀的に説明的に流れるのを避け、強ひて平調な、殆ど紀行文に近い形式を擇んだ。その爲めには、「第一毒茶を勸めたといふのは眞實《ほんと》だらうか嘘だらうか」と上月は疑つたが、結局わからなかつたままにして、作者は此の一大事にさへ説明を加へずに稿を終つた。それを知つてゐるのは女一人で、上月の心には、それが眞實か嘘かを思ひ迷ふ暗い疑念さへ殘ればいいのだと思つたのである。お芝居になり度くない爲めの用意に外ならない。
若しも此の平調を心掛けた結果の作品が、單に平調である丈で、暗示に富んでゐないと云つて責めるのならば、作者は此點に於て我が力及ばずと自分自身嘆いて居るのであるから、謹んで評者の眼識の高いのに服したであらう。不幸にして本間氏は作品の骨子をさへ正しくは捉へてくれなかつた。しかも自分では滿足した態度で洒々《しやあ/\》として批評の筆を進めてゐる。
本間氏は、上月が支那|苦力《くうりい》を見て「人類に對する親しい感情を起させるやうな人間には見えない」と感じたのをつかまへて「此作者は恐らく美醜の感覺の強い人であらう。しかしそれは決して常識の範圍を出でない。此作者には大部分、外形が美醜判斷
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