いと思ふ心持から、本間氏に同情したが、同時に、そんな不自由な語學の力で飜譯なんかしなければいいのにと考へたのは事實である。
扨て「時事新報」に出てゐる本間氏の批評は前々から續いてゐるもので、その日のは第六囘目であつた。第一囘から讀んでゐない自分には「技巧派と無技巧派の對比」といふ標題の意味がよく解らなかつたが、恐らくは此批評の序論として新秋文壇なるものに於て、多少なりとも努力した作家を分つて、技巧派と無技巧派の二派とし、之を今日の文壇の二潮流と見て批評してゐるのであらうと思ふ。しかし自分が技巧派なのか無技巧派なのかは、凡そ器用と無器用はあつても無技巧と呼ぶ可き作家の存在を知らない自分には想像がつかなかつた。
本間氏は「新嘉坡の一夜」の梗概を記して「永らく英佛に遊んでゐた男が、日本への歸途、新嘉坡に立ちより色街に痛飮して、滯歐中の女難の追懐に耽るといふ一夜を描いたものである」と云つてゐるが、これを讀んだ自分は餘りの意外に喫驚した。これは頭腦《あたま》が惡いなと思つた。
頭腦のいい作家、頭腦の惡い作家と云ふのは近頃の文壇の流行語ださうで、頭腦のいい派、頭腦の惡い派と對比すると、それが
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