[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りながら踊るのを見て、その足のぶざまに太いのを指さして笑つたが、その足のぶざまに太いのは許せるけれども、その踊りの餘り極端なる拙劣さは許されない。少くとも足の形をよくする事は不可能に近いが、舞踏は勉強次第で或點迄の進歩は期し得るのである。
森の精ワルドシュラアトの無邪氣らしくいい氣なのは左程でもなかつたが、池の精ニツケルマンのお神樂の素盞嗚尊のやうな風をして、その癖妙に村の色男らしい塗りつぶした顏で、ものを言はない時でも年中變てこに口を開いてゐる氣取つた、いゝ氣持さうなのは、見るに堪へなかつた。
鑄鐘師《いものし》ハインリツヒは新派の色男のせりふ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しで悲劇がり、牧師、教師、散髮屋は曾我迺家の身ぶりでふざけた。
その「外形」の醜さは明白であるが、此の人々に「沈鐘」が了解されてゐるとは、如何に新劇贔負の自分にも思ひも及ばない事であつた。あらゆる點に於て不勉強である。無責任無反省で、且つ自慢さうに演じてゐるのが氣に喰はなかつた。
「自由劇場」の役者達は、雜誌新聞に衆をたのんで筆陣を張る頭腦《あたま》の惡い派
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