に云はせると、「藝術座」などの役者達に比べて本來理解力の少ないものと看做され勝であつたが、頭腦のいい惡いといふ事は學校に通つた年限の長い短いで決まるわけではない。小學校もろくに出ないやうな「自由劇場」の役者は遙かに勝れたる理解力を示した。加之《おまけに》あの役者達は、手馴れない泰西の戲曲を演じる事に對して異常な覺悟を持つてゐた。少くともその戲曲を尊敬し、且つ忠實に演じようとする努力から固くなり過ぎた程敬虔であつた。
 一《ひと》頃「有樂座」でやつてゐた「土曜劇場」の下手な連中さへ、自分には「藝術座」よりも立派なものだつたやうに考へられる。額に汗を流し流し、聲をふりしぼつてゐた彼《か》の一派は、屡々面白いものを見せてくれた。要之《えうするに》それは「外形」の美醜によつてわかつべき優劣ではなくて、精神的の美醜によつて定まる優劣である。無責任にいい氣な役者は、眞摯な役者にはかなはないのだ。
 自分は役者達の態度に不滿を感じると同時に、その指導者に對しても不滿だつた。
 自分は松井須磨子を所謂新しい女優の中では、他の者に比べて段違ひにうまいと思つてゐて、指導さへよかつたら、もつといい芝居をして
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