ある。
 自分は長火鉢の側に不自由な身體《からだ》を横にしたまま、珍しく眞面目に腹が立つて、暫時《しばらく》の間、喧嘩をしたい心持に苦しんだが、頭の上の柱に掛かつてゐる時計が三時をうつたので驚いて起きかへつた。さうして冷くなつた茶を飮んだ時は、自分の弱點だと平生から思ふのだが、又しても、憤慨したつて自分なんかの力では多數者にはかなはないといふ若隱居根性が起きて來て、苦い笑が浮んで來た。
 冷靜になつた自分は續いて本間氏の芥川龍之介氏の小説「奉教人の死」に對する批評を讀んだ。さうしてあの小説を「此作は作者が長崎耶蘇會出版の『れげんだ・おれあ』と題する書の中の傳説に文飾を施したものに過ぎないと云つてゐるのによつても解る通り、全體としてやはり在來の童話の味はひである、傳説の味はひである」と云ひ「童話以上、傳説以上――作者獨自の解釋なり、創意なりを加へたものを求めたい」とあるのを見ると氣の毒になつて、「人類に對する憐愍さ」をさへ本間氏に對して感じたのである。
 自分は芥川氏の作品を餘り好まないが、しかしそのづばぬけた「技倆《うで》」の冴えには敬服してゐる。「奉教人の死」も亦勝れたる作品であると
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