を文壇に見ても、本間氏の如き見當違ひの批評家さへ、大きな顏をしてゐられる我文壇の貧弱さは、いかに贔負目に見ても崇拜の對象にはなり兼るのである。
貴族趣味についても自分は「新嘉坡の一夜」の何處から推斷された非難なのか飮み込めない。あの作品の何處に貴族趣味が説いてあるか。しかし若し貴族趣味といふものが、平俗凡庸卑劣淺薄を憎み、よりよき人の世を憧憬する事を指すのならば、自分は確かに貴族趣味だ。「人類に對する親しい感情」を多分に持ち、且人類の醜惡なる事實の力強さに壓迫を感じて惱む自分は、どうかしてよりよき人の世の出現を希望すると同時に、醜惡なる人間の影を潛める事を熱望してゐる。小説の月評にさへ、流行の民衆がる機會を捉へんとする人間の心の「内部に透入して」、自分はその醜惡を憎むので、その人間の面つきのまづい爲めに嫌惡するのではない。
自分の貴族趣味は、頭腦の惡い人間よりもより多く無反省な人間を憎み、良心を所有しない人間を唾棄する。換言すれば、わけもわからない癖にわかつた顏をし、もつともらしい風をして出たらめを云ふ人間を嫌ふのである。さういふ人間の集團が存在する限り、人類の幸福は阻まれるからである。
自分は長火鉢の側に不自由な身體《からだ》を横にしたまま、珍しく眞面目に腹が立つて、暫時《しばらく》の間、喧嘩をしたい心持に苦しんだが、頭の上の柱に掛かつてゐる時計が三時をうつたので驚いて起きかへつた。さうして冷くなつた茶を飮んだ時は、自分の弱點だと平生から思ふのだが、又しても、憤慨したつて自分なんかの力では多數者にはかなはないといふ若隱居根性が起きて來て、苦い笑が浮んで來た。
冷靜になつた自分は續いて本間氏の芥川龍之介氏の小説「奉教人の死」に對する批評を讀んだ。さうしてあの小説を「此作は作者が長崎耶蘇會出版の『れげんだ・おれあ』と題する書の中の傳説に文飾を施したものに過ぎないと云つてゐるのによつても解る通り、全體としてやはり在來の童話の味はひである、傳説の味はひである」と云ひ「童話以上、傳説以上――作者獨自の解釋なり、創意なりを加へたものを求めたい」とあるのを見ると氣の毒になつて、「人類に對する憐愍さ」をさへ本間氏に對して感じたのである。
自分は芥川氏の作品を餘り好まないが、しかしそのづばぬけた「技倆《うで》」の冴えには敬服してゐる。「奉教人の死」も亦勝れたる作品であると思つた。けれどもあの作品には、本間氏がいふやうな童話の味はひなどは皆無である。傳説の味はひさへ稀薄である。多分にある味はひは、傳説らしい材料を、近代的小説の悧巧な企畫《プロツト》に活かさうとする工風と、更にその工風をいかにして覆ひかくさんとしたかを示す、智的惡戲の興味である。其處が自分の芥川氏に對する不滿の點で、殊に「奉教人の死」第二節「予が所藏に關する、長崎耶蘇會出版の一書、題して『れげんだ・おれあ』といふ」以下の、此の物語の典據調べなどは最も惡いいたづらだと思ふ。「れげんだ・おれあ」といふ本の名はあるのかもしれないが、「奉教人の死」は少くとも芥川氏の創作であらう。若し萬一創作でなかつたにしても、「作者獨自の解釋と創意」はありあまる程あるのであつて、それに對して、作者の解釋と創意を求める批評家の存在する事は、やがて才人芥川氏のいたづらつ子らしい傾向を、いやが上にも助長するものに外ならない。芥川氏の惡戲の興味の爲めに本間氏の如き批評家の存在は祝すべきであるが、同時に芥川氏の如きいい「技倆《うで》」の作家の爲めに、そんな惡戲の滿足を喜ばせて置くのは面白くない。
自分は二人とも見た事は無いのだけれど、芥川氏の人の惡い微笑を浮べた顏と、本間氏の眞面目がつてゐる顏を想ひ浮べて吹出し度くなつた。
「どうも失禮致しました。」
と襖をあけて主婦が出て來たので、自分は何氣ない顏をして新聞をたたんだ。
「隨分御退屈でしたでせう。」
「いいえ、新聞を拜見してゐました。」
「さうさう、主人がさう云つてましたよ、今朝の新聞に貴方のお書きになつたものの批評が出て居ますつてね。」
「エエ、今それを讀んでゐたんです。」
「いかがです、評判はいいんですか。」
「イイエ、不相變叱られてゐるんです。」
「なんですか主人《あるじ》は自分の事かなんぞのやうにぷんぷん云つてましたよ。こんな批評を書いてゐても原稿料が取れるんだから文學者は樂だねなんて。」
「だつて私の小説にさへ原稿料を拂ふんですもの。」
自分は主婦の氣持のいい顏付と、齒切のいい言葉を聞いて、輕い氣分になつて笑つた。
「どうも難有うございました。時間ですから芝居の方に行きませう。」
「面白いんですかしら。評判はいいやうですね。」
「評判て新聞のでせう、あてになるもんですか。」
自分は今の本間氏の批評から人を信用しない心持になつてゐたので
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