のおやぢの姿を、憎惡の念を抱かずに思ひ出す事は出來ないのである。
 或時或席で右の「笈摺草紙」を買ひそこなつた話をした。すると其處にゐた友人梶原可吉君は、その話に誘はれて、彼の購書苦心談を彼一流の高調子で始めた。その中で泉先生の「日本橋」についての一節を、自分は此處に傳へようと思ふ。
 梶原君は常に若々しい心を失はない熱情家で、且社會改良に熱心な理想家である。當然の歸結としてその愛好する藝術は或種の傾向の著しいものに限られてゐる。泉鏡花先生の作品に現れてゐる道徳――ありふれた世間の血の氣の無い道徳ではなく、先生の熱情に育くまれた道徳――は彼が隨喜し、先生の主張される義理人情の世界、戀愛至上主義は即ち彼が涙を流して渇仰するところである。
 大正三年の秋彼は滿洲大連で、面白くも無い殖民地の人間に圍まれて、面白くも無い月給取の生活を送つてゐた。一日の勞務が終ると、寄食してゐる叔父の家に歸り、入浴して晩餐の卓にむかふのであるが、恰も殖民地に特有なもののやうに思はれる苛々《いら/\》した心状を免れる事は出來なかつた。彼は夕暮を待つ蝙蝠のやうに、日が沈むと家を出て散歩するのが癖になつた。
 夕暮の早い大連の町には初秋の霧のかかる頃であつた。大通のアカシヤの並樹の下を、彼は街燈の灯に照らされながら町の方へ歩くのがおきまりだつた。
 目的の無い散歩ではあつたが、毎日々々同じ道を歩くうちに彼が必ず立寄る處が出來た。それは或る町角の本屋である。
 元來好き嫌ひの色彩の鮮明な梶原君は、いつたん惚れたとなると、その惚れた相手方を最上級に祭り上げなければ承知しない人間である。さうして彼には學校時代からお馴染の三田通りの福島屋といふ惚れ込んだ本屋があつて、東京に居る時は勿論、神戸にゐても大連にゐても、遙々注文して其の店から送つて貰ふ事になつてゐたから、大連の町角の本屋では別段買物をするのではなかつた。ただ女の人が呉服屋の窓の前に立てば目の色が變るやうに、彼は本屋の前に立つて胸の躍るのを覺える種類の人間だつたのである。
 或晩彼は其の町角の本屋の店に入つて新刊の本を一巡見て居た時、泉鏡花先生の新作「日本橋」を他のがらくた本の間に見出した。彼は迂濶にも「日本橋」の出版の豫告を知らなかつたので、菊判帙入の美本を手に取上げる迄は、それが眞實《ほんと》に泉先生の新作であるかどうかを疑つた。其晩直ぐに福島
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