就きて」なる一文を草せんとて筆執りし事ありしも、遂に我がよくなし得ざる事なるを思ひて止みぬ。その後屡々同じ願ひの予を驅りし事あれども、われはわが不才を知れば幾度も執りし筆を皆折りて捨てしのみ。
我が處女作は明治四十四年三月相州湯河原の山懷《やまふところ》の流に近き宿の古く汚れたる机の上に成りぬ。その後數ふれば早く既に十數篇の小説戲曲を發表したるが、何れも筆執りてありし間の心に似ず印刷成りてこれを手にする時、餘りの拙なさになさけなくなるをおきまりとしたり。
さればそれらの作品を一册にまとめて世に出す時些かふてくされたる氣持なきを得ずして、心の底に湧き起る不滿と失望をやけと冷笑を以てなぐさめんと努むるに忙しかりき。かかる事云ふを人のとがむるあらば、われ又更に冷笑を以て自らをなぐさめん。
わが最も心苦しきは文藝の作品と新聞の三面記事との相違を知らざる人にわが作の讀まるる事なり。曾て或る愚なる新聞記者はわが作品の二三をつなぎ合せて我が半生の詐《いつは》りなき告白なりと思ひ、それによりて出たらめなる一文を草し麗々しくも三日に亙りて之を紙上に連載したり。
かかる事何故に心苦しきや敢て言ふの要なき事なれど、茲にわが作品に就きて少しく自註を加へんと欲す。
生れしは麻布の高臺なりしが、幼くして我が家芝にうつりたれば、其邊に住みし人など多く我が記憶に殘るものなきはもとよりなれど、或日或時わが目に映じたる街の樣の不思議にも明かに思ひ浮べ得るまま、處女作「山の手の子」の舞臺を其處にとりたるなり。唐物屋の頭禿げし亭主の顏今も忘れず、繪草紙賣る店に屡々通ひしも事實なれど、その他の人はお鶴はもとより煙草屋の姉弟《きやうだい》も皆我がほしいままに描き出せる架空の人物に過ぎざるなり。
「ぼたん」の中の人々は今も世にある人にして、彼の一篇のみはまさしく我が幼き日及び我が見たる人の身の上を筆に上《のぼ》せたるものなるが、我が性質として後に至りよしなき事をしたりと思ふ心強く予を責むるものありき。此の一事を以て予は彼の作品を嫌ふ。
「うすごほり」に就きても亦些かはかかる念ひあれど、お澄さんは彼の小説に書きし如き身の上の人にあらざりし事を記さん。
「その春の頃」は我が作中就中拙きものなるが、彼の作は我が親しき友の身の上にありし事をその友の口より聞きし時話に醉ひて直に筆執りしものなれども、もとより
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