これわが殊にありがたく思へるところなり。
 わがはらからは皆|賢《かしこ》くおとなしかりしにわれ一人|父母《ちゝはゝ》の良き教にそむく事多かりしが、しかも我が父はわが罪を一度も責め給ひし事なし。われはわが無邪氣にしていたづらなりし少年の日に、疳のたかぶりては父母にさへ屡々|拳《こぶし》を振り上げて立ちむかひし事を、深き悔恨と共に忘るる事能はず。さる折にもわが父は靜かに我が亂暴を看《み》守りて居給ひしのみ、彼の世の中の父親がその子の惡行を矯めんとてうち打擲するが如き事は、予の曾て我が家に見たる事なきところなり。
 我が母の誰人に對しても優しくおもひやり深き事は、我が母を知る人の誰しもいなまぬところなる事をわれ亦信じて疑はず。
 おもひやり深き母は自らの事と他人の事とのわかちなく、世の事人の身の上の事に就きて、共に喜び共に憂ひ共になげき共に悲しみ給ひき。われは我が母の涙を見たる事あれども怒れる聲を聞きし事無し。

 幼き日我が最も嬉しかりしは、今は世になき母方の祖母なる人、又は我が母人よりさまざまの昔話、物語のたぐひつぎつぎにせがみては、飽く事なく聞く時の心なりき。桃太郎かちかち山は誰も皆知れる話なれば誰人より聽き覺えしかを知らざれども、松山鏡落窪物語鉢かづき姫などは、我が祖母我が母の懷に眠りつつ幾度となく語られしものなれば、そのかみの若かりし母の聲さへまざまざと耳に殘りて、其の折物語の悲しさに涙流せし心地の今もわびしく思ひ出でられては返らぬ日のいとせめて戀ひしきもはかなし。
 その祖母なる人はものの記憶よかりし人にて「八犬傳」など芳柳閣の邊迄|暗誦《そら》んじ居て、求むれば何時も高らかに誦《ず》して聞かせ給ひぬ。「平家物語」の幾章も亦かくしてわれは聞き覺えしなり。
 父は若きより讀書を好み詩をよくしたりと聞けど、和歌の上手なりしその祖母及び今も變らず月雪花《つきゆきはな》の折にふれては詠み出づる母を見眞似て、われは假名文字の書《ふみ》多く好みて讀みしが、初めて三十一字の歌つくりならひしも十二三の頃にかありけん。いかなる歌を詠み出でしか今記憶に殘るものなきは恨みなり。

「少年世界」は恰も我が小學へ通ひ初《そ》めし頃世に出でたれば、我が頭にいちはやく彫られしは小波山人の懷しき名にほかならず。その頃の人の心はいかばかり長閑けかりけん、いかにして家庭を圓滿にすべきか、如何に
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