らう、何人であるか當てて見るのも一|面《めん》面白いことだらうと思ふ。
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といい氣なよたを飛ばした擧句に、
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以上の問に對して日々紙上なり三田文學なりへ御答をして下さつたらば、余の頗る幸甚とするところである。(二月十八日夜)
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と最後を結んだ。
吉村忠雄又は次郎生は、自己の匿名を辯護して、「何人であるか當てて見るも面白いだらう」と云つてゐるが、自分には自分の「近親者」の中にこんな馬鹿々々しい人間を發見する事は出來ない。この「堂々たる男子」は深川區猿江町と封筒には書いて居るけれど、郵便局の消印は三田局で、大正七年二月十九日午前十時と十一時の間に受付けたものである。自分には深川猿江町に住む親類も友人も無いから、これも亦「堂々たる男子」の卑怯なる詐術《トリツク》に過ぎないのであらう。
何れにしても自分には誰人の手に成つた一文であるか見當がつかない。文中見るところの目|障《ざは》りな田舍訛、例之《たとへば》「なけらねばならぬ」「好きからに筆を執つて」などと云ふのを見ると、頭腦ばかりでなく起居動作も粗野な人間なのだらう
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