如く後世を照らす」種類のものかもしれない。
 次に吉村忠雄氏又は次郎生は、自分に忠告して左の如く述べてゐる。故意か粗忽か今度は、
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瀧太郎足下
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 と君の一字が無くなつてしまつた。
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夫れから次にも一つ御尋ねしたいのは君が文章に親んで居られるのはあれは好きからに、弄んで居られるのか、或は本職的に沒頭されて居るのか、余は何れでも宜しいのであるが、右とか左とかそれに依つて些か注文があるのである。
強《あなが》ち君に對して興味を棄てよと云ふのではないが、内々に好きからに筆を執つて樂んで居るといふのならば餘り駄作は公表せぬが宜《よい》ではないか、些か自ら文筆に得意なといふので鼻にかけるのは宜ろしくない。時々の創作物を可然《しかるべき》先生なり先輩なりに添削して貰つて樂んで居ればよい譯である。何も公表して見せびらかす必要はあるまい。それから本職として居るといふならば誠に情けないことだと思ふ。先きにも一寸述べた通り世間で左《と》や右《か》う云ふからどんなかと思つて居たらまだあんなものを書いて居る!五年も七年も其途に親んで居て夫れで
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