じてゐるところである。
「先生」が「物になつちや居ない」といふ批評は自分の甘受するところである。けれども吉村忠雄氏又は次郎生は、彼の作品が如何《どう》いふ性質のものであるかを全然了解してゐない。如何に「文藝を解せざる卑賤の階級」の一人にしても、あまりに自負し過ぎた賤民である。作品の傾向を了解しないのは爲方が無いとしても、賤民の癖に斯くあれと指導してゐるその指導が、全く作者としての自分の常に避け度いと思ふところを目標としてゐるのだから、その標準から「物になつちや居ない」と罵られるのは寧ろ名譽だといつてもいい。
 吉村忠雄氏又は次郎生は「迅き事風の如きものの後には動かざること巖の如きものを、靜なること林の如きものの後には波瀾幾千丈といつた風のものを配するとか、坦々でなく紆餘曲折端睨すべからざる中に偉人の俤を偲ぶといふ風にするのが眞に是れ偉人を偉人として遇し、讀者の興味を彌が上にも湧き立たせ且は後世の人々をして其俤を偲ばしむる眞の方法」だと説いてゐるが、その單純淺薄な英雄化、戲曲化を避けるのが、眞に偉人を偉人として偲ばせるものだと自分は考へる。古來我國の歴史も戲曲も物語も、その中に現れる人物
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