に由りて決する」ものだと云つてゐる。尤もその前に、それは「新聞紙の如き上下卑賤あらゆる階級」を通じて讀まれるものに公表する場合と斷り、更に上下卑賤とは文藝を解すると否とを標準として決する區別だと説明してゐるが、全體の論旨から推測して、此の制限は餘り重要な意味は無く、難者は勸善懲惡の規矩によつて藝術の作品の價値を定めようとしてゐるものと見做しても差支へないらしい。貴重なる紙面を費して、今更|教訓的《ダイダクテイツク》な藝術の作品は價値の高いものでない事を茲に説明する勞は避ける事にするが、吉村忠雄氏又は次郎生の論理から云へば、浪花節は他のあらゆる音曲よりも價値のあるもの、曾我迺家の仁輪加《にはか》は歌舞伎劇よりも尊いと云はなければならない。更に他の方面に例をとれば、愚夫愚婦の大衆に信奉される天理教のお婆さんは並ぶものなき偉人であらう。熟々《つく/″\》考へる迄も無く吉村忠雄氏又は次郎生の如きは「上下卑賤の階級」の最も卑賤なる部類に屬する人に違ひない。
 曾て乃木大將が腹を切つて死んだ頃、渡邊霞亭といふ小説家がその逸事を集めて小説體で書いた事があつた。勿論「一般讀者の感興を惹くこと」を專一と
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