ぎないので、實は存外自分の功利的文藝觀に滿足してゐるのである。かうして自分の立場を明かにして置いて、吉村忠雄氏又は次郎生は「先生」の一篇に對して批評を下した。
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恐らく余ばかりでなくああいふ書きなぐり物では天下の人皆さうであらう。先生は天下の人の認めて、以て偉人とする偉人である。さういふ人の平素の洒落《しやらく》な處を寫さう偉なる言行を寫さうとするならば、もつと讀者の興味をそそり深刻なる印象を頭に殘す樣なものでなけらねばなるまいと思ふ。彼の作は此點に於て先づ全然失敗して居るものではなからうか、即ち題材としての平素の言行の取り方が當を得て居ない。迅《はや》きこと風の如きものの後には動かざること巖の如きものを、靜なること林の如きものの後には波瀾幾千丈といつた風のものを配するとか、坦々でなく紆餘曲折端睨すべからざる中に偉人の俤を偲ぶといふ風にするのが眞に是れ偉人を偉人として遇し、讀者の興味を彌《いや》が上にも湧き立たせ、且つは後世の人々をして其俤を偲ばしむる眞の方法ではあるまいか、文筆の炳乎日月の如く後世を照らすとは實に此事を言つたものではなからうか。或は足下は言はん、先生は然《さ》る波瀾に富んだ性行の人ではなく、世に平凡なる偉人と言はれし通り頗る常識の發達せる平凡なる人であつたと。併し足下よ言ふ勿れ、當時は吾國開闢以來の思想の動搖轉換期にして實に先生は其の先唱者にして又中心點なりしなり。其の言行や奇拔にして當時の人にしては奇想天外より落つるといふ樣なことばかりされた人である。
君の「先生」に對して詳密なる批評を下すといふことは又他日に讓るとしよう。茲では單に何等讀者に感興を起させない作は價値に乏しいものである、そして君の「先生」は正しく斯る種類のものであると云ふに止めて置き度い。
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 此の一節は吉村忠雄氏又は次郎生が、最もいい氣持で書いたものらしく、陳腐な形容詞を澤山持ち出して、見當違ひの議論を吹掛けてゐるところは、近代の文章特に「先生」の鼓吹したやうな進んだ文章に馴れた若い者には、到底吹出さないでは讀めない程愛嬌に富んでゐる。自分は非常なる興味を以て讀んだ。若しも低級なる興味でも敢へて構はず、讀む者を面白がらせるのが文章の第一義だと吉村忠雄氏又は次郎生が考へてゐるならば、期せずして人を失笑せしめる氏の文章なども「炳乎日月の如く後世を照らす」種類のものかもしれない。
 次に吉村忠雄氏又は次郎生は、自分に忠告して左の如く述べてゐる。故意か粗忽か今度は、
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瀧太郎足下
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 と君の一字が無くなつてしまつた。
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夫れから次にも一つ御尋ねしたいのは君が文章に親んで居られるのはあれは好きからに、弄んで居られるのか、或は本職的に沒頭されて居るのか、余は何れでも宜しいのであるが、右とか左とかそれに依つて些か注文があるのである。
強《あなが》ち君に對して興味を棄てよと云ふのではないが、内々に好きからに筆を執つて樂んで居るといふのならば餘り駄作は公表せぬが宜《よい》ではないか、些か自ら文筆に得意なといふので鼻にかけるのは宜ろしくない。時々の創作物を可然《しかるべき》先生なり先輩なりに添削して貰つて樂んで居ればよい譯である。何も公表して見せびらかす必要はあるまい。それから本職として居るといふならば誠に情けないことだと思ふ。先きにも一寸述べた通り世間で左《と》や右《か》う云ふからどんなかと思つて居たらまだあんなものを書いて居る!五年も七年も其途に親んで居て夫れでまだ彼れ位のものだとすれば一層の事止した方が宜しからう。それよりも君が專門に修めたものでも確乎《しつかり》とやつたが何《ど》れ位國家を益するか知れやせぬ。二兎を追へば一兎をも得ずで兩方とも半噛りになつてしまふ。
君が先年笈を海外に負ひたるも何の爲であつたか、徒らに「汽車の旅」を書く爲ではなかつたらう。必ずや其修め得た處のものを以て大に活動せんが爲であつたらう。今や國事は日々に多端で三文文士の御託《ごたく》を聞くよりも一人でも多くの實際家を必要として居る。思想界の如きは少數の天才肌の人に任せて置けば宜しい。趣味を持つて居るとか多少の文才があるとか云つて、レベル若くはレベルより稍々上へ出た位の者が吾も吾もとウヨウヨ集まる必要はない。思想界の明星となつて國民を左右するのも宜いが、目下の急務はハンマアを能く使ふ人を國家はより多く要望して居る。思想界の中でも君のは小説や隨筆の樣なもので目下大して缺乏して居るものでもない。
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 論旨は益々亂暴になつて、攻撃されて居る筈の自分は寧ろ喜劇を見てゐるやうな笑ひを止める事が出來ないのである。
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瀧太郎君足下

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